童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

息子のまなざし

ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督との出会いはかれこれ何年前になるだろうか。
大学の授業が空いていたからとかそんな理由で恵比寿まで足を延ばし、まだリニューアルする前のガーデンシネマで「ロルナの祈り」を観たのが最初だったと思う。
とにかく僕にとっては衝撃的な作品で、エンドロールが終わって明るくなってもしばらく立ち上がれなかったことを覚えている。
余計な演出や説明が一切ないのに、描き方が丁寧で、理性で処理できない「情」のようなものを突き付けられた気分だった。
是枝裕和監督の「誰も知らない」を観たときの衝撃と似ていた気がする。

以来、ダルデンヌ兄弟の作品はなるべく追いかけるようにしている。
と言いつつ次の「少年と自転車」を観ただけで、直近の「サンドラの週末」は観に行けなかったので完全な俄かファンだ。
最新作の「午後8時の訪問者」は4月公開ということなので、是非行こうと思っている。

ダルデンヌ兄弟作品が好きになってから、過去作品も遡って観たいとずっと考えていた。
先日、ネットでCD・DVDをまとめ買いしていた時に、特に気になっていた「息子のまなざし」を発見して、購入した。
なかなかに見応えのある作品で、また性懲りもなく感想をまとめておこうと思う。

息子のまなざし [DVD]

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MW ~エロスとストロゲー~

ずっと読みたいと思っていた「MW」を読んだ。
とんでもなく面白かったので、感想をまとめておきたいと思う。

MW 悪魔の化身―悪魔の化身 (My First Big)

MW 悪魔の化身―悪魔の化身 (My First Big)

 

MWは、1970年代に青年誌で連載されていた作品で、「猟奇殺人」や「同性愛」といったショッキングなテーマを扱っていることから、多くの手塚作品の中でも「黒手塚」の代表作として特別視されている。
銀行に勤める美貌の男・結城美知夫と、神父の賀来巌の二人を軸に話が展開される。
二人は、少年時代に沖ノ真船島という南島で出会い、その島に密かに貯蔵されていた化学兵器「MW」の漏出事故に巻き込まれる。
島民は、彼ら二人を残して全滅。
ところが、その事故は時の政権によって握りつぶされて、闇から闇へ葬り去られてしまう。
結城は、この事故の当事者たちを相手取って誘拐、殺人、恐喝を続け、MWを手に入れて世界を滅ぼそうと画策する。
一方の賀来は、結城の行為を知りながら、それを止めることができない。
結城と賀来は、少年時代からずっと同性愛の関係にあるのだ。
結城との関係を続けながら、彼は次第に、神父としての使命感や背徳感、人としての罪悪感に苛まれていく。

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「徹子の部屋」2016年BEST3

今年に入ってから、HDDの中を整理しているときにふと気が付いた。
2016年の「徹子の部屋」を、一回も漏らすことなく観たことに。

僕は、テレビに出ている人では徹子さんとタモリさん以上に面白い人はいないと思っている人間だ。
さらにもっと言うと、インタビュー番組と生放送も大好きである。
したがって、「テレフォンショッキング」と「徹子の部屋」は僕の大好物だった。(徹子の部屋は生ではないが編集なしなので)
もちろん、時には恐ろしくつまらない回もあるのだが、最早、つまらなくても良いのだ。
毎回面白いものを見せてもらおうなんてエゴが過ぎる。

「笑っていいとも」が終了してしまった今、「徹子の部屋」を録画して観続けている。
とはいえ、基本、料理しながら録画を流すスタイルなので、ちゃんと観ていたかと言われると微妙だが、欠かさず録画していたということが我ながらスゴイ。
長期の出張がなかったことも幸いした。
もう今年に入って2週間が経とうとしているこのタイミングで、去年観た「徹子の部屋」の中から、独断と偏見によって勝手にBEST3を選んでみた。

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桃太郎計画

昨日、大学院の時の同期から久しぶりに連絡があり、東京で昼飯を一緒に食べる機会があった。

彼は、修士号取得とともに某企業に就職し、その数年後には結婚もして、去年第一子誕生、とまさに現代では珍しいくらいの順風満帆の人生を歩んでいる。
普段、なかなか会わない爽やかスポーツマンタイプの人間なので、興味の赴くままに根掘り葉掘り色々と聞いてしまった。
何せ、僕の人生においては、ほぼ起こりえないであろう出来事を、既に彼は一通り経験しているのだ。
興味は尽きない。

理系で研究室にいたことのある人ならば分かると思うが、研究室の同期というのは極めて重要な存在である。
指導教官という名の上司を共通の相手として、精神的・肉体的に何度助け合ったか分からない、まさに運命共同体である。
特に、実験系の研究室だったため、実験施設で二人で夜通し作業したことも数えきれないほどある。
僕は、その縁を笠に着て、ファミリーで賑わう連休初日昼時の洋食屋でかなり突っ込んだところまで聞いてしまった。
反省はしているが後悔はしていない。

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人間関係~サバイバルゲームからぬるま湯~

年末から年始にかけて、中学と高校の友人とそれぞれ飲みに行く機会があった。
中学時代と高校時代は、環境がとにかく対照的で、そこで繰り広げられた人間模様は僕の人格形成に多大な影響を与えている。
友人たちと懐かしい話をしながら、しみじみとそのことを実感したので、少し思い出しながらまとめておきたい。

 

中学時代は、本当に生きるか死ぬか、サバイバルゲームの世界だった。
いや、やり直せないので「ゲーム」ですらなかったかもしれない。

公立の割と荒れた地区の中学校だったため、いわゆる不良と呼ばれる生徒が各クラス数人程度いた。
トイレは基本的に煙草臭い、授業中に爆竹が鳴る、窓が割れることは日常茶飯事過ぎてガラス業者の人にあだ名が付いていて仲良し。
飴やガム、唾をそこここに吐き捨てるので、体育館といえども床を確認して座らないと大変なことになった。
今でも良く覚えているのが、当時風紀委員的な役職に就いていて、クラスの目標みたいなものを「男子は女子トイレで煙草を吸わない」というものにしたことだ。
教員に喫煙現場を押さえられないように、男子が女子トイレで煙草を吸うことが頻発しており、何とかしてほしいという大変もっともな苦情に基づいたものだった。
返す返すも志の低い目標である。
「〇〇(不良男子)は、女子トイレで吸わないから硬派でイイ奴」とかってセリフが普通に交わされていて、自分含めて通っている生徒たちも頭がおかしくなっていたに違いない。

こんな学校に入学して、僕をまず待ち受けていたのは、ちょっとした「いじめ」というか嫌がらせであった。
いわゆる普通の「いじめ」ではなかったので、この件は、また別の機会にまとめたいと思う。
半年くらいしたところで担任の介入によってとりあえずの解決を見た後、自分がここで生き抜いていくにはどうすれば良いか、ということを真剣に考えた。
何せ、運動はできず、腕っぷしも弱い。
勉強はできたけれども、そんなことはマイナスにはなっても決してプラスにはならない。
さらに、半年間のことがあるからほぼ腫物。
弱みを見せれば、休み時間ごとに喧嘩が始まるこの学校ではすぐ次の標的にされてしまうと思った。

結局僕がとった戦術は簡単で、とにかく全員とコミュニケーションをとり、広く浅く人間関係を作る、ということだった。
そもそも小学生の頃から人と話をするのは好きだったから、とにかく会う人会う人と、変な照れや気おくれみたいなものを捨てて、喋りまくった。
結論から言うと、この戦術はかなりうまくいったと思う。
特に女子たちが味方に付いたことが大きかった。
女の子扱いせず、趣味嗜好も近くて、性の匂いが全く感じられない僕は話しやすかったのだろう。
時には女子更衣室でクラスの女子が着替えている最中に、僕が窓を向きながら会話を続けるなんてことすらあった。
(そもそも小学生の頃から女子の友達ばかりだったのだけれども)
男女分け隔てなく話せる存在というのは、不良にとっても非不良にとっても教員にとっても重宝らしい。
色々と雑用を任されるようになって、クラスの中でもアイツはちょっと面白いし使えるやつという認識になったのだろうと思う。
交流の輪が拡がっていくと、いわゆる不良男子たちも、話してみれば結構分かり合えるやつが多かった。
とにかく敵意を見せず、不穏な空気を瞬時に察知して話題を変えることで大抵はやり過ごせた。

この3年間で、「如才なさ」みたいなものを徹底的に鍛え上げられたように思う。
はっきり言って、勉強をしていたという記憶はまるでない。
毎日どうやって生き抜くかを考えていた。
当時に戻りたいかと言われれば絶対に戻りたくないが、ただ、あの3年間が全くの悪(失敗)だったかというとそうとも言えない。
不登校になってしまう人たちも少なからずいて、あの学校に通うことでその後の人生を狂わされた人間も存在しただろうが、間違いなく、現在の僕があるのはあの学校のおかげ(せい?)だと断言できる。
むしろ、私立の中学校で悠々生きていたら、今とは全く違う思考の人間になっていた気がする。
人を第一印象で判断して、コミュニケーションをとろうともしない人間になっていたかもしれないと思うと、恐怖さえ覚えるのだ。

 

高校時代は、打って変わって、まさにぬるま湯であった。
1年の時など、中学とのギャップの大きさに驚いて、逆に人間関係がぎくしゃくしたくらいだ。

公立校の中でもそこそこの偏差値の学校に入学したので、周りはほぼクラスで学級委員とかを任されていたタイプ。
暴力が支配する世界とはかけ離れた場所だった。
そんな学校にあって、1年から2年でクラス替えが行われたとき、もうぬるま湯としか呼べないようなクラスが誕生した。
例えるならば、クラスに一人は居た誰とでも話せるタイプの奴、それが寄せ集められたようなクラスだった。
決して協調性があるわけではない。
むしろ個人主義で、一人一人は干渉されることが苦手なタイプ。
だけれども皆人当たりは良いから、仲は良い。
聞かれたくないことは聞いて来ないし、参加したくない行事は参加しなくていいし、逆に自分も相手に決して強制はしない。
だから、色んな行事があったけれどもトップに入ることはほぼなかった。
それでも、楽しかったら結果なんてどうでもいいと笑えるクラスだった。

中学の頃は身を守るために人当たり良く無難に振る舞っていたが、それでも「八方美人」と揶揄されることもあった。
だから、自分と同じ種類の人たちが集まったこのクラスに加わったとき、スゴく救われたような気持ちになったのは間違いない。
あんなにも無駄に気を遣わなくて良い(気遣いがないわけではない)人間関係は後にも先にもあの時だけだったと思う。
中学の頃に苦労した分、ご褒美を貰ったのだくらいに思っていた。
いまだに頻繁に会っている最も近しい友人は、このときのクラスメイトだ。

 

一応ブログのテーマでもあるので、自分の性的指向についての当時の扱いも思い出してみる。
中学生の頃は、芽生え始めていたゲイ的な性質について、当然、隠し通した。
わざわざ殺されに行くようなものである。
というか、この頃は自分でも信じられなかったので、自分に言い聞かせるようにこの件については封印していた気がする。
それでも、高校生の頃には自分でも認めざるを得ない程に、自分の中の同性愛的特質を感じていた。
それをカムアウトしたところで、おそらくあのクラスならば、受け入れられたろうな、とは思う。
でも話せなかったのは、特別その必要性を感じなかったからかもしれない。
ビバリーヒルズ青春白書ばりに付いたり離れたりするクラス内恋愛模様を、全く無関係な場所から見物できることが楽しかった。
いや、でも結局、彼らがどう思うかより、自分で自分のことを整理できていなかったからかもしれない。
それに、彼らも勘付いてはいただろう、という気もする。
いつか、もう少しオープンにできるようになったら聞いてみたい。

ゆく年くる年

2016年が終わろうとしている。

先日友人と今年を象徴する個人的な出来事について話をしていて、自分ならば、まず間違いなくこのblogを始めたことが入るだろうなとぼんやり考えていた。
これまで自分が人に言わないようにしてきた部分を、なるべく嘘偽りなく書き留めるという作業は、案外デトックス効果があるようだ。
先日の排泄理論ではないが、精神的にも楽になったように実感している。
もっと短期間で飽きてしまうかと思ったが、これまでのところ大体週1ペースで続いている。
そもそも童貞だし、人様よりも人生経験は浅い方であると思っていたが、書きたいことは尽きるどころか増してきている。
来年も出来る限り継続していきたい。

 

ところで、blogを始めて二つ、自分自身について面白いことに気がついた。

一つは自分の承認欲求である。
そもそもこのblogも、自分のために始めようと思って立ち上げて、誰に宛てるでもなく好きなように書いてきた。
不特定多数の人が見られる場所に書いた理由は、誰かに読んでもらいたいというより、自分がサボらないようにするための仕掛けにしたいという気持ちが強かったから…というつもりだった。
蓋を開けてみたらどうだ。
毎日何度もアクセス解析を確かめ、いいねが付こうものなら震えるほど喜んでいる自分がいる。
そもそものblog開始時点の気概すら疑いたくなってしまう。

もう一つは、埋もれていた自己愛だ。
ずっと自己肯定感が薄い根暗な人間だとばかり思っていたのに、自分の書いた記事が好きすぎることに気が付いてしまった。
恥ずかしいのだが、たまに自分の書いた過去記事を読んでいると、自分で書いたはずなのに「やっぱり面白い」とか思ってしまうのだ。
こんなにナルシストだったのか。
恥じ入るばかりだ。

 

今も昔も、僕は自分の子供が欲しいと思ったことは一度もない。
自分の遺伝子がこの世に残ることはおぞましいとすら思っている。
自分が生きた証をこの世に残したいという気持ちがわからない。
それなのに、論文にしろブログの記事にしろ、自分の書いたものが承認された時のこの喜びは何だ。
自分の書いたものを愛しく思ってしまうこの気持ちは何だ。

2017年も自問は続く。

2016年の個人的ヘビロテ音楽備忘録

今年は「シン・ゴジラ」や「君の名は。」、「この世界の片隅に」含めて様々なヒット映画が生まれたことから、各所に「邦画当たり年」というフレーズが並んでいる。
僕自身もそのことは否定しないが、個人的には音楽の当たり年でもあったなとしみじみ思っている。
というか、今年はよくCDを買い、よくCDを聴いた1年だった。
多分、月に1枚くらいは買っていたのではないだろうか。

元々僕は、このダウンロード時代には珍しくCDを買う派の人間だ。
好きなアーティストの1枚は盤として残しておきたいし、何よりジャケットや歌詞カード、写真、何なら帯まで、CDそのものが作品として好きだからだ。
今年、特に名作に良く出会えたにしても、加速度的にCDを買いまくった原因は、やはり車の存在が大きい気がする。
車の中では必ず何かしらの音楽をかけているし、家族や友人と遠出をする機会も多かった。

備忘録として、2016年に特に聴きまくっていた作品を書き留めておく。
今年の作品ではないものも含まれているが、とにかく今年よく聴いていた1枚なので一緒にまとめておくことにする。

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