童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

彼らが本気で編むときは、

先日のLA LA LANDに続いて、荻上直子監督の「彼らが本気で編むときは、」を観てきた。
荻上監督は、「バーバー吉野」や「カモメ食堂」が割りと好みで、その後の作品もちょこちょこ観に行っていた。
一時期大ブームになった食べ物が美味しそうなお洒落ゆる旅系映画の火付け役と言っていいと思う。
雑誌hanakoとか読んでる女子が好きそうな感じ。
そんな監督が最新作でLGBTをテーマにするということで、童貞とは言え僕もその端くれであると自認しているので、観ねばなるまいと思っていた。


生田斗真がトランスジェンダーの女性に『彼らが本気で編むときは、』予告編

 

率直に言って、大変不快な作品だった。
その不快感の正体について、自分なりに良く考えてみた。
考えてみて、ブログの記事にするかどうかについてかなり悩んだ。
特定の作品に対する批判を公にすることは、なかなか覚悟のいることだ。
単なる悪口になってしまうのは、その作品を一生懸命作り上げた人たちに対して申し訳無さすぎる。
ただ、本作がLGBTに真面目に向き合っているとかレビューで書かれているのを見ると、当事者の一人として、どうしても訴えておかねばなるまいと思うところがあったので、やはりまとめておくことにする。

今回の記事はかなり辛辣な内容になる。
もしもこの作品のファンであり、批判的意見は目にしたくないという人があれば、この先は読まないようにしてもらいたい。
それから、今回はネタバレのことは気にせず書いていくつもりだ。
これから鑑賞される予定の方も、以降の内容は読まないようにしてもらいたい。

 

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LA LA 落語が観たい

引っ越しからの実験、学会準備で忙しい日々を過ごしていて、なかなかブログを書くことができない。
書きたいことがあるのに書けないのはなかなか焦れるものだ。
とりあえず、引っ越しに関連して独り暮らしについて書きたいと思っていたのだけれども、時間ができたところで映画を観に行ってしまったので、そちらからまとめることにする。

LA LA LANDを観てきた。
アカデミー賞でも話題の作品だったし、公開されて間もなかったこともあり、レイトショーと言えどなかなかの混雑ぶりだった。
個人的にミュージカル映画は大好物なので、楽しみにしていた。
「シカゴ」や「オペラ座の怪人」、「レ・ミゼラブル」のように、既にミュージカルとして確立されたものの映画化ではない。
こうした作品が評判になることは珍しいようにも思うし、期待は高かった。


「ラ・ラ・ランド」本予告

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ストーカーと映画 ~ トーク・トゥ・ハー × アンナと過ごした4日間

僕はストーカー映画が好きだ。
いや、ストーカー映画などというジャンルはないのかも知れないけれども、とにかくストーカーが題材になっている作品が大好物だ。

そもそも映画に限らず芸術作品とは、自分とは全く異なる人間の心の動きを追体験させてくれるところに大きな意味があると思う。
だから自ずと芸術作品に現れるキャラクターは、社会的弱者であったり反社会的人物であったりすることが多い。
そうした人々にスポットを当てて共感を促すことで、問題提起したり、あるいは社会を少しだけ寛容にしたりする。
それこそが、芸術作品の担う大きな役割だろうと感じている。

僕にとって、ストーカーは最も遠いようで近い存在だと思っている。
このブログで何度も書いているように、僕は無性愛的傾向が強い人間なので、特定の誰かに対して固執したりすることがない。
その意味でストーカーとは真逆な人生を歩んでいると言える。
しかし見方を変えると、一度もそうした経験がないということは、いつかその瞬間が来た時に、正しく受け止められない危険性が高いとも言える。

ストーカーの特徴の一つは、何と言ってもアンバランスで歪んだコミュニケーションだろう。
ストーカーは自分から発信はするのに、正しく受信できない人間だ。
相手が嫌がっていても、それを照れていると解釈してしまう。
自分が発信したことを、思っている通りに相手が受信すると信じ込んでいる。
身勝手極まりない心の動きだけれども、友人同士とか仕事場とか家庭とか、もっと普遍的なコミュニケーションにまで問題を単純化すると、誰しも陥らないと断言することはできないはずだ。
その状況を未然に防ぐのが「経験」だろうと思うのだが、僕の場合、こと恋愛に関してはそれがない。
それに、経験値を積むには年をとりすぎてしまった。
だから、特にストーカーの視点が丁寧に描かれた作品に対しては、何となく他人事とは思えず、好奇心と戒めの気持ちとともに少しの愛着を感じている。
別にストーカーを擁護する気持ちは全くないけれども、その心理状態は確実に自分と地続きのところにあると思うのだ。

 

2月某日、友人と一緒に久しぶりに早稲田松竹に行ってきた。
大好きなペドロ・アルモドバル監督の特集で「トーク・トゥ・ハー」が上映されるということで、楽しみにしていた。
本作は、良ストーカー映画として強く印象に残っている作品の一つで、改めて観て再度衝撃を受けてしまった。
その衝撃をきっかけに、自分の中でストーカーと映画で二本立てを作ってみたくなり、記事にまとめることにした。

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僕の中の受動的ヤリマン

人には、いくつもの人格が宿っていると思う。
特に、比率はそれぞれ違うだろうが、どんな人間にも、いわゆる「男性」的な部分と「女性」的な部分があるはずだ。
僕の場合は、両者が半々に近い(もしかしたら女性が多いかも)くらいの割合で常にせめぎ合っている感覚がある。
人によっては気持ち悪く映ったり悩みの種になることかもしれないが、個人的には、特に芸術作品を楽しむときにお得感がある。
例えば、去年「逃げるは恥だが役に立つ」を観ていた時には、平匡さん視点でも楽しめるし、みくりさん視点でも楽しめた。
どちらも可愛く思いすぎて、最終的には十姉妹になって毎朝二人に微笑んで見つめてもらいたい、と訳の分からないことを言い出す始末だった。
この記事では、自分の中の女性的な部分について気が付いたことをまとめておく。

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性的指向について②

ブログ開始早々に書いた記事の中で、僕は自身の性的指向について、

同性愛者に近い両性愛者でありながら、無性愛者

と表現した。
これに関連して、ここ一か月ほど、自分の体を使って実験していたことがある。
その結果をまとめるとともに、ブログのテーマでもある自分の性的指向に関する考察を付け足したい。

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コリアン文化の洗礼

右派政権が長期化しているせいか、近年ずっと嫌韓ブームが続いている。
本屋に行けば、ヘイトに満ちた煽り文が踊る本が平積みにされていて、何とも窮屈な世の中になったものだとうすら寒くなる。
Twitterでもブログでも、定型文のような虚実織り交ぜたヘイトメッセージがやり取りされていて、とにかく居心地が悪い。
10年ほど前の韓流ブームがまるで嘘だったかのような事態だ。

個人的には、かつてのように必要以上にもてはやすことも、現在のように貶めることも、どちらにも嫌悪感に近い違和感を感じる。
臆病なせいか、そもそも国籍とか性別とかマイノリティを産みやすいものがブームになるのは、危険な匂いを感じて穏やかでいられなくなる。
もちろんブームによって消費されるようになると、その文化がより発展することは良くあることだ。
例えば、19世紀葛飾北斎伊藤若冲がヨーロッパで大ブームになって印象派絵画に大きな影響を与えたことは有名な事実だ。
でも、近年日本で巻き起こっているブームは、そういった健康的な文化交流とは毛色が違って見える。
むしろ、いたずらに卑屈あるいは攻撃的になることで何とか自我を保とうとしているように見えて、自らの文化に対する自信のなさを如実に表しているように感じられる。
やけに日本文化を持ち上げるテレビ番組が増えていることも、その一つと言える。

僕が小中学生だった90年代から2000年代前半も、様々なものが流行っていたという記憶があるが、少なくとも最近ほど国籍を意識することはなかった。
例えば、当時BoAさんが精力的に活躍していたが、彼女の音楽を韓流と括ったり国籍を気にして聴いていた人はほとんどいなかったはずだ。
国どうしの事情を気にして互いの文化を色眼鏡なしで楽しめないのは、何とももったいないし、とてつもなくダサいと思う。
近年の風潮への抗議の意味も込めて、現在に至るまで、僕自身が好きだと思ったものの中から、実はコリアン文化と関わりがあると後から判明したものをピックアップしてみた。

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カミングアウトとアウティング

カミングアウト:公にしていない自らの出生や病状、性的指向を表明すること。

アウティング:他人の出生や病状、性的指向を暴露すること。

僕は、これまで、はっきりと自分の性的指向について人に話したことはなかった。
特に、同性愛的な部分については、「そうなんじゃないの?」と聞かれても「そうではない」と答えてきた。
女性にも性的興奮を覚えることはあるので嘘ではない、と自分自身に言い訳をしながら答えていたと思う。
それも最近は嫌になってきて、最も付き合いのある友人には、このブログのことも含めて先日打ち明けた。
まあ、元々そう思っていただろうし、話したところで特に驚きもなかった。
納得されたというか、腑に落ちた、という風に見えた。

一方、去年はアウティングに関わる出来事が幾つか話題になった。
有名なところでは成宮寛貴氏の引退騒動だろうが、個人的には、一橋大学で起きた痛ましい事故が心に残っている。

www.bengo4.com

僕自身は、この問題の本質は、同性愛ということとは必ずしも関係がないと思っている。
告白したことをネタにして吊し上げようという輩は、同性愛に限らず異性愛の場合でも現れるし、当然非難されるべきだ。
(件のアウティング野郎はロースクールに通う学生だそうだが、守秘義務の発生する弁護士なんかは明らかに向いていないので多分辞めた方が良い)
同性愛という点をとりあえず置いておいても、一橋大学の対応は最悪だった。
ただ、ここまで問題化したのは、やはり同性愛者だと知られることが社会的な不利益に繋がるという意識を、多くの人が共有しているからだろう。
ある部分ではその通りだと思うし、僕自身が人に言えなかった理由も多少はそこにあると思う。
自ら差別を助長していると言われればその通りかもしれないが、そもそも、普段の社会生活において性的指向を明かさなければならない瞬間はほぼないので、放っておいて欲しいというのが素直な感想だ。
もちろん社会がもっと寛容に変わるべきとは思うが、「恥ずかしいことではないのだからカムアウトすべき」とアウティングに走る確信犯的な人たちは迷惑でしかない。

翻って、自分のことを考えてみたときに、カミングアウトを躊躇う一番大きな理由に思い当たった。
と同時に、アウティングに関することを考えていったとき、カミングアウトも少し考え直した方が良いかも知れないと思い始めている。
そもそも、このブログを書き始めたのは、自分自身の良く分からない性的指向を整理するためにも、嘘をつく必要がない匿名の書き捨て場を用意することが主な理由だった。
ブログを続けていれば、いずれ嘘偽りなく人と話せるようになるかと期待していた部分もあったのだが、少なくとも現時点では全く逆のことを考えている。
備忘録として、そう考えるに至った経緯を残しておく。

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