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童貞見聞録

アラサーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

恋とは

「恋」とか「恋愛」という言葉を辞書で調べてみた。

 

多くの場合、「相手に惹かれて切なく想う」といったことが書いてある。
一方で、新明解国語辞典の第5版には、

精神的な一体感だけでなく肉体的な一体感も得たい

といったことが書かれている。
恋を、優秀な交配相手を求めるために遺伝子が仕込んだ巧妙なギミックの一つであると捉えるなら、新明解の解釈は極めて理に適っていると言える。

 

新明解的な「恋」を基本に考えると、僕はまだ恋を知らない。

これまで出会ってきた人たちに対して、男女を問わず、「この人とならば一緒に生活できるだろう」とか思って家族として振舞う様を想像する瞬間は結構あった。
しかし、肉体的な繋がりとなると、それを求めたことは一度もない。
大学生の頃に、いよいよ自分はちょっと性的におかしいということに気づき始めて焦った僕は、身の周りの友達を使ってそうした妄想に挑戦したことがある。
興奮どころか気持ち悪さが先行して、1分も持たずに頓挫した。
許可もなく下らない妄想に登場させた友達への罪悪感が募るばかりで、大失敗であった。

 

これに関連して、最近高校のクラスの同窓会において、友人の一人から印象的なことを聞かれた。

「今まで誰かと手を繋ぎたいと思ったことはないの?」

 

…衝撃だった。ない。一度もない。

小説や漫画、映画でその心理状態に至る感情のプロセスを追体験することはできる。
でも実際の生活において実感を伴ってそう思ったことがない。
ABCどころか、その前の段階だというのに。

 

そもそも人と接するときに相手の性を意識することがない。

もちろん、女性と話しているときに下ネタは控えるとか女性と歩くときにはなるべく車道側に立つとか、その程度のことはしている。
しかし、そのときの「女性」 は、「背が高い」「痩せている」「メガネをかけている」などと同じで、頭髪の薄い人の前で髪を切りに行った話はしないといった気遣いとほぼ等価である。
このように人と付き合っていると、おそらく相手にもそれが伝わるのだろう、僕は小さい頃から、女子の友達が多かった。
自分としては極めて自然なことだったので、これが実は少しおかしいらしいということに気づいたのは割と最近のことである。

 

下手をすると小学生でも経験している人がいる初恋すら、まだ。
童貞どころの騒ぎではなくなってしまった。
でも世界人口が増え続けて食糧危機やエネルギー問題が叫ばれる昨今、わざわざ戦争を起こさなくてもごく自然に自ら減ろうとしているのだ。
ある意味で、最も平和的かつ先進的な方法である。
もっとありがたがって欲しい。