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童貞見聞録

アラサーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

バケモノの子

映画

先日の金曜ロードショウで放送された分を、ようやく観ることができた。
映画のレビューとして、というよりも、最近思っていたことと重なって、これは書き留めておいた方が良いかな、ということで記事にすることにした。

 

 

細田守監督作品は、「時を駆ける少女」「サマーウォーズ」「おおかみこどもの雨と雪」を観ていて、それなりのファンであると言ってよいと思う。
全ての作品を手放しで褒めるというほどではないが、公開されれば必ず観に行くくらいには好きだった。
ところが、昨年「バケモノの子」が公開されたころは社会人1年目ということもあって、なかなか暇を見つけられずに公開中には観ることができなかった。
そんな中のノーカット版放送ということで、かなり楽しみにしていた。

 

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母親を亡くして行く当てのない少年・九太と、腕っ節は強いがぶっきら棒で荒くれものの格闘家・熊徹の物語。
前作「おおかみこどもの雨と雪」が、母性のエゴイズムみたいなものを巧みに描いた作品だったので、今度は父性がテーマなのかな、くらいのつもりで鑑賞したのだが、印象はだいぶ違っていた。

 

まず、この作品において成長するのは、九太だけではない。
むしろ、中盤くらいまでは九太以上に熊徹の成長に焦点が置かれている。
他者との関わりを絶ってきた熊徹が、「伝える」「教える」という行為を通して精神・技ともに洗練されていく。
つまり、通常の親子でイメージされるような、ある種の絶対的な主従関係というよりは、お互いにお互いを救う構造になっている。
それでいて、有り体に言えば「情が移る」というような、かなり根源的な愛情の形を描いている。
「父性」というよりも、もっと普遍的でかつ原始的な「親性」を示しているようで、熊徹の容姿と相俟って、何とも不思議な説得力があったと思う。

 

 

しかし、本作で僕が「親性」より何より強く感じたテーマは、自律である。

劇中、心の闇を抱えたとあるキャラクターと主人公が対峙する場面がある。
そのときに、キャラクターと主人公はちょうど「鏡」の関係になっており、主人公は戦いながらも、相手は自分そのものであるという強烈なシンパシーを感じる。
そして作品は、心の闇の取り扱い方を提示する。
僕なりにそのメッセージをまとめるならば、以下のようになる。

心に闇を抱えることが悪なのではない。
闇に呑まれて思考停止に陥ることこそが悪である。

つまり、「自律」とは、自らの闇を認めて考え続けることで達成される。
これが本作で最も強く自分に響いた部分であった。

 

この部分を観ていて、僕は最近起きた一つの事件を思い出していた。
相模原の障碍者施設で起きた大量殺傷事件である。

 

事件の犯人は、施設の元職員で、犯行に先立ち衆議院議長に宛てて送った手紙が公開されて、話題になった。
手紙には、障碍者安楽死など、彼の過激な考え方が記されていて、僕自身も読んだときには悪寒が走った。
悪寒の理由は、一つにはこの手紙に触発された模倣事件が起きるかもしれないという予感と、もう一つは、この犯人は自分だったかもしれないというシンパシーだ。

 

誤解がないように述べておくが、僕は障碍者安楽死を認めるべきと主張するつもりは更々ないし、彼の犯行を正当化するつもりもない。
ただ、彼の状況を想像すると、自分が彼のような考えに取り憑かれないという自信がないのだ。
毎日のように障碍者の世話をし、疲れた保護者の顔を見て、差別に耐えながら作業受注のための営業活動をし、自分や保護者がいなくなった未来を想像し…
たった数日ではあったけれども、僕自身、教職免許状取得のため、特別支援学校や施設に研修に行った際、職員の方の身体的・精神的負担の大きさは計り知れないものだと実感した。

 

自分がその状況で働いていたとして、この事件の犯人のように心の闇に呑まれることはないとは言い切れない。
おそらく皆そうだろう。
だからこそ、「バケモノの子」で示されたように、このことについて考え続けていくことが大事なのだと思う。
少なくとも本作は、僕にとって一つの希望を与える作品だった。


テレビやネットのニュースを読んでいると、犯人の異常性が強調されたり、彼の暗い主張が伝染していくことへの警鐘が殊更に叫ばれるばかりで、当事者意識としてのこの問題への思考が避けられているように感じてしまう。
むしろ、社会全体で思考を続けることこそが、社会としての「自律」に繋がるのではないか。
事件の4日前に放送された本作を観て、そんなことを考えていた。

 

 

最後に少しだけ、映画のその他の部分についても触れておく。

 

実を言うと、以前の細田守作品に比べて、ストーリーに突っ込みどころが多かったことは否めない。
語りすぎる語り部、九太の二重生活の不自然さ、転生に関する設定の後出し感、ラストの楓のご都合主義的な登場…
ただ、それが気にならないほどに、メルヴィル著の「白鯨」を基点に全ての伏線を回収していくラストの盛り上がりはとてつもない爽快感があった。
何より映像的には、アニメとは思えないほどの日常感覚の再現と、これぞアニメと言わせんばかりのファンタジック異世界感が共存していて、まさに細田守作品という出来映え。
サマーウォーズ」の大ファンである僕にとって、待ってましたと手を打つような瞬間が何度もあった。
オリエンタルに偏らない、ヨーロッパや南アメリカなんかも含んだような独特の渋天街の雰囲気を堪能するだけでも楽しい作品だったと思う。
もし未視聴という方がいらっしゃれば、是非一度ご覧になられることをお勧めする。