読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

童貞見聞録

アラサーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

ゆく年くる年

駄文

2016年が終わろうとしている。

先日友人と今年を象徴する個人的な出来事について話をしていて、自分ならば、まず間違いなくこのblogを始めたことが入るだろうなとぼんやり考えていた。
これまで自分が人に言わないようにしてきた部分を、なるべく嘘偽りなく書き留めるという作業は、案外デトックス効果があるようだ。
先日の排泄理論ではないが、精神的にも楽になったように実感している。
もっと短期間で飽きてしまうかと思ったが、これまでのところ大体週1ペースで続いている。
そもそも童貞だし、人様よりも人生経験は浅い方であると思っていたが、書きたいことは尽きるどころか増してきている。
来年も出来る限り継続していきたい。

 

ところで、blogを始めて二つ、自分自身について面白いことに気がついた。

一つは自分の承認欲求である。
そもそもこのblogも、自分のために始めようと思って立ち上げて、誰に宛てるでもなく好きなように書いてきた。
不特定多数の人が見られる場所に書いた理由は、誰かに読んでもらいたいというより、自分がサボらないようにするための仕掛けにしたいという気持ちが強かったから…というつもりだった。
蓋を開けてみたらどうだ。
毎日何度もアクセス解析を確かめ、いいねが付こうものなら震えるほど喜んでいる自分がいる。
そもそものblog開始時点の気概すら疑いたくなってしまう。

もう一つは、埋もれていた自己愛だ。
ずっと自己肯定感が薄い根暗な人間だとばかり思っていたのに、自分の書いた記事が好きすぎることに気が付いてしまった。
恥ずかしいのだが、たまに自分の書いた過去記事を読んでいると、自分で書いたはずなのに「やっぱり面白い」とか思ってしまうのだ。
こんなにナルシストだったのか。
恥じ入るばかりだ。

 

今も昔も、僕は自分の子供が欲しいと思ったことは一度もない。
自分の遺伝子がこの世に残ることはおぞましいとすら思っている。
自分が生きた証をこの世に残したいという気持ちがわからない。
それなのに、論文にしろブログの記事にしろ、自分の書いたものが承認された時のこの喜びは何だ。
自分の書いたものを愛しく思ってしまうこの気持ちは何だ。

2017年も自問は続く。