童貞見聞録

アラサーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

人間関係~サバイバルゲームからぬるま湯~

年末から年始にかけて、中学と高校の友人とそれぞれ飲みに行く機会があった。
中学時代と高校時代は、環境がとにかく対照的で、そこで繰り広げられた人間模様は僕の人格形成に多大な影響を与えている。
友人たちと懐かしい話をしながら、しみじみとそのことを実感したので、少し思い出しながらまとめておきたい。

 

中学時代は、本当に生きるか死ぬか、サバイバルゲームの世界だった。
いや、やり直せないので「ゲーム」ですらなかったかもしれない。

公立の割と荒れた地区の中学校だったため、いわゆる不良と呼ばれる生徒が各クラス数人程度いた。
トイレは基本的に煙草臭い、授業中に爆竹が鳴る、窓が割れることは日常茶飯事過ぎてガラス業者の人にあだ名が付いていて仲良し。
飴やガム、唾をそこここに吐き捨てるので、体育館といえども床を確認して座らないと大変なことになった。
今でも良く覚えているのが、当時風紀委員的な役職に就いていて、クラスの目標みたいなものを「男子は女子トイレで煙草を吸わない」というものにしたことだ。
教員に喫煙現場を押さえられないように、男子が女子トイレで煙草を吸うことが頻発しており、何とかしてほしいという大変もっともな苦情に基づいたものだった。
返す返すも志の低い目標である。
「〇〇(不良男子)は、女子トイレで吸わないから硬派でイイ奴」とかってセリフが普通に交わされていて、自分含めて通っている生徒たちも頭がおかしくなっていたに違いない。

こんな学校に入学して、僕をまず待ち受けていたのは、ちょっとした「いじめ」というか嫌がらせであった。
いわゆる普通の「いじめ」ではなかったので、この件は、また別の機会にまとめたいと思う。
半年くらいしたところで担任の介入によってとりあえずの解決を見た後、自分がここで生き抜いていくにはどうすれば良いか、ということを真剣に考えた。
何せ、運動はできず、腕っぷしも弱い。
勉強はできたけれども、そんなことはマイナスにはなっても決してプラスにはならない。
さらに、半年間のことがあるからほぼ腫物。
弱みを見せれば、休み時間ごとに喧嘩が始まるこの学校ではすぐ次の標的にされてしまうと思った。

結局僕がとった戦術は簡単で、とにかく全員とコミュニケーションをとり、広く浅く人間関係を作る、ということだった。
そもそも小学生の頃から人と話をするのは好きだったから、とにかく会う人会う人と、変な照れや気おくれみたいなものを捨てて、喋りまくった。
結論から言うと、この戦術はかなりうまくいったと思う。
特に女子たちが味方に付いたことが大きかった。
女の子扱いせず、趣味嗜好も近くて、性の匂いが全く感じられない僕は話しやすかったのだろう。
時には女子更衣室でクラスの女子が着替えている最中に、僕が窓を向きながら会話を続けるなんてことすらあった。
(そもそも小学生の頃から女子の友達ばかりだったのだけれども)
男女分け隔てなく話せる存在というのは、不良にとっても非不良にとっても教員にとっても重宝らしい。
色々と雑用を任されるようになって、クラスの中でもアイツはちょっと面白いし使えるやつという認識になったのだろうと思う。
交流の輪が拡がっていくと、いわゆる不良男子たちも、話してみれば結構分かり合えるやつが多かった。
とにかく敵意を見せず、不穏な空気を瞬時に察知して話題を変えることで大抵はやり過ごせた。

この3年間で、「如才なさ」みたいなものを徹底的に鍛え上げられたように思う。
はっきり言って、勉強をしていたという記憶はまるでない。
毎日どうやって生き抜くかを考えていた。
当時に戻りたいかと言われれば絶対に戻りたくないが、ただ、あの3年間が全くの悪(失敗)だったかというとそうとも言えない。
不登校になってしまう人たちも少なからずいて、あの学校に通うことでその後の人生を狂わされた人間も存在しただろうが、間違いなく、現在の僕があるのはあの学校のおかげ(せい?)だと断言できる。
むしろ、私立の中学校で悠々生きていたら、今とは全く違う思考の人間になっていた気がする。
人を第一印象で判断して、コミュニケーションをとろうともしない人間になっていたかもしれないと思うと、恐怖さえ覚えるのだ。

 

高校時代は、打って変わって、まさにぬるま湯であった。
1年の時など、中学とのギャップの大きさに驚いて、逆に人間関係がぎくしゃくしたくらいだ。

公立校の中でもそこそこの偏差値の学校に入学したので、周りはほぼクラスで学級委員とかを任されていたタイプ。
暴力が支配する世界とはかけ離れた場所だった。
そんな学校にあって、1年から2年でクラス替えが行われたとき、もうぬるま湯としか呼べないようなクラスが誕生した。
例えるならば、クラスに一人は居た誰とでも話せるタイプの奴、それが寄せ集められたようなクラスだった。
決して協調性があるわけではない。
むしろ個人主義で、一人一人は干渉されることが苦手なタイプ。
だけれども皆人当たりは良いから、仲は良い。
聞かれたくないことは聞いて来ないし、参加したくない行事は参加しなくていいし、逆に自分も相手に決して強制はしない。
だから、色んな行事があったけれどもトップに入ることはほぼなかった。
それでも、楽しかったら結果なんてどうでもいいと笑えるクラスだった。

中学の頃は身を守るために人当たり良く無難に振る舞っていたが、それでも「八方美人」と揶揄されることもあった。
だから、自分と同じ種類の人たちが集まったこのクラスに加わったとき、スゴく救われたような気持ちになったのは間違いない。
あんなにも無駄に気を遣わなくて良い(気遣いがないわけではない)人間関係は後にも先にもあの時だけだったと思う。
中学の頃に苦労した分、ご褒美を貰ったのだくらいに思っていた。
いまだに頻繁に会っている最も近しい友人は、このときのクラスメイトだ。

 

一応ブログのテーマでもあるので、自分の性的指向についての当時の扱いも思い出してみる。
中学生の頃は、芽生え始めていたゲイ的な性質について、当然、隠し通した。
わざわざ殺されに行くようなものである。
というか、この頃は自分でも信じられなかったので、自分に言い聞かせるようにこの件については封印していた気がする。
それでも、高校生の頃には自分でも認めざるを得ない程に、自分の中の同性愛的特質を感じていた。
それをカムアウトしたところで、おそらくあのクラスならば、受け入れられたろうな、とは思う。
でも話せなかったのは、特別その必要性を感じなかったからかもしれない。
ビバリーヒルズ青春白書ばりに付いたり離れたりするクラス内恋愛模様を、全く無関係な場所から見物できることが楽しかった。
いや、でも結局、彼らがどう思うかより、自分で自分のことを整理できていなかったからかもしれない。
それに、彼らも勘付いてはいただろう、という気もする。
いつか、もう少しオープンにできるようになったら聞いてみたい。