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童貞見聞録

アラサーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

LA LA 落語が観たい

引っ越しからの実験、学会準備で忙しい日々を過ごしていて、なかなかブログを書くことができない。
書きたいことがあるのに書けないのはなかなか焦れるものだ。
とりあえず、引っ越しに関連して独り暮らしについて書きたいと思っていたのだけれども、時間ができたところで映画を観に行ってしまったので、そちらからまとめることにする。

LA LA LANDを観てきた。
アカデミー賞でも話題の作品だったし、公開されて間もなかったこともあり、レイトショーと言えどなかなかの混雑ぶりだった。
個人的にミュージカル映画は大好物なので、楽しみにしていた。
「シカゴ」や「オペラ座の怪人」、「レ・ミゼラブル」のように、既にミュージカルとして確立されたものの映画化ではない。
こうした作品が評判になることは珍しいようにも思うし、期待は高かった。


「ラ・ラ・ランド」本予告

 

結論から言うと、大変に楽しめた。
非常に作り手の意気込みと愛が感じられる質の高い娯楽作品だったと思う。
頭を空っぽにして観られて、楽しく、帰りは鼻歌とスキップがついつい出る。
ミュージカル映画の醍醐味を存分に味わえる作品だろう。
また観客を選ばないところも良い。
独りで観に行ってもカップルでも、家族連れでも、老若男女が安心して楽しめるようになっている。

正直に言えば、ストーリー自体はかなりシンプルで、陳腐と言っても良いくらいだと思う。
それでも観続けられるのは、ミュージカル映画的な仕掛けが、非常に練り込まれて、なおかつ磨かれた形で盛り込まれているからだろう。
まさに、ミュージックビデオを台詞で繋ぎながらアルバム一枚分観たような感じ。
テンポ、スピード感、リズム、メロディ、リピート、リバース、プレイバック…
全てが、最早、暴力的な位の吸引力で引き込んでくる。
しかも音楽のそれとストーリーが見事に同期している。
いわゆるミュージカル苦手勢の人々も今作については褒めていたりするのを見ると、作り手の人々の誠実なミュージカル愛が実った結果なのだと、他人事ながら感動すら覚えてしまう。

多くの人が指摘することだが、何より、冒頭の渋滞のシーンが素晴らしい。
この数分間で、今作がいわゆる「ミュージカル」であり、非現実的なものであるということが強く印象付けられる。
つまり、良い意味で真面目に観るべきものでないことが観客に伝わる。
それでいながら、実は冒頭のシーンはストーリー的にも非常に意味深いものになっている。
冒頭のシーン最後に、本作のヒロインであるミアの乗る車は、主人公セブの車で追い越される。
これは、まさにその後のストーリーの要約になっているのだ。
さらに、終盤もう一度渋滞のシーンが現れて、「分岐」という暗示を与えるが、冒頭のシーンはその伏線とも言える。
ハイウェイのシーン一つ取っただけでも多くの仕掛けが施されていることが分かる。

作品の技巧的素晴らしさについては多くの指摘が他でされているので、ここでは自分の視点から感想をまとめたい。
陳腐とまで書いておきながら何なのだが、ストーリーについて思うところが二つほどあった。
一つは、今回書いておこうと思うが、もう一つは、作品のネタバレに関わることなので、後日まとめることにする。

本作のストーリーのメインテーマの一つは、古いものvs新しいもの、あるいは頑固vs柔軟ということになるだろうと思う。
主人公セブはジャズピアニストであり、いつか自分のジャズクラブを持つことを夢にしている。
一方のヒロイン、ミアは女優の卵としてオーディションに挑んでは落ちる日々を送っている。
セブは、伝統的なジャズのスタイルに誇りを持っていて、周りの評価よりも自分のやりたいことを優先するタイプ。
ミアも徐々に彼に感化され、次第に舞台を自分の力で作り始める。
しかし、二人とも、それぞれ、自分の夢を大切にすることと現実を生き抜くために妥協することの狭間で悩むことになる。
考えてみれば、この映画そのものも古き良きミュージカル映画の伝統に敬意を払い、趣向を凝らしているわけで、このテーマとの親和性の高さも、本作の魅力を高める大きな要素になっていると思う。

さて、僕自身は、この話を観ていて、真っ先に思い浮かべたのは落語のことだった。
落語の根多には大きく分けて古典と新作というものがある。
前者は、古くから残っている噺で、「時そば」とか「寿限無」とか、いわゆる落語と言われて思い浮かべるものだ。
対して後者は、最近作られたもので、舞台も現代であったりファンタジー仕立てになっていたり様々だ。
また、一口に古典と言っても語り手が違えばまるで印象が異なってしまう。
ちゃきちゃきの江戸弁で話す人もいれば現代語に近い人もいる。
時代設定やキャラクターの年恰好まで、まさに十人十色だ。

段々と古い話が新しく更新されていくのは、考えてみれば当たり前のことだ。
廓噺と呼ばれる、いわゆる遊郭の話も古典には多くあるが、これを実感を伴って聴ける人はほぼいないし、実感を伴って演じられる人もほぼいない。
共感を得る芸であるのに、体験を演者と観客の間で共有できていないということは、大きなハンデと言えるだろう。
新しい話に代わられたり、アレンジされたりしていくことは、自然の摂理だ。
しかし、それでも、古典のスタイルがなくなってしまうのは寂しいのだ。

だから、僕としては、是非、古典落語に魅せられて、いつか自分の寄席を持ちたいと思っている男が、俳優志望の美女と恋に落ちるミュージカルが観たい。
タイトルはLA LA 落語。
三味線と太鼓を使ったミュージカルと言うのも新しいと思う。
急にオシャレ感がなくなった気がするが、やむを得まい。