童貞見聞録

アラサーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

彼らが本気で編むときは、

先日のLA LA LANDに続いて、荻上直子監督の「彼らが本気で編むときは、」を観てきた。
荻上監督は、「バーバー吉野」や「カモメ食堂」が割りと好みで、その後の作品もちょこちょこ観に行っていた。
一時期大ブームになった食べ物が美味しそうなお洒落ゆる旅系映画の火付け役と言っていいと思う。
雑誌hanakoとか読んでる女子が好きそうな感じ。
そんな監督が最新作でLGBTをテーマにするということで、童貞とは言え僕もその端くれであると自認しているので、観ねばなるまいと思っていた。


生田斗真がトランスジェンダーの女性に『彼らが本気で編むときは、』予告編

 

率直に言って、大変不快な作品だった。
その不快感の正体について、自分なりに良く考えてみた。
考えてみて、ブログの記事にするかどうかについてかなり悩んだ。
特定の作品に対する批判を公にすることは、なかなか覚悟のいることだ。
単なる悪口になってしまうのは、その作品を一生懸命作り上げた人たちに対して申し訳無さすぎる。
ただ、本作がLGBTに真面目に向き合っているとかレビューで書かれているのを見ると、当事者の一人として、どうしても訴えておかねばなるまいと思うところがあったので、やはりまとめておくことにする。

今回の記事はかなり辛辣な内容になる。
もしもこの作品のファンであり、批判的意見は目にしたくないという人があれば、この先は読まないようにしてもらいたい。
それから、今回はネタバレのことは気にせず書いていくつもりだ。
これから鑑賞される予定の方も、以降の内容は読まないようにしてもらいたい。

 

僕が最も不快に思ったのは、取り上げられるエピソードの実在感のなさだ。
元々、荻上作品では、キャラクターや設定が少し浮世離れしていたり非科学的だったりして、寓話的なエピソードが展開されることが多い。
そのこと自体が悪いとは思わないし、現に「かもめ食堂」などではそれが良い方向に働いていたと思う。
しかし、ことLGBTを題材にそれをしてしまうと、当事者意識を欠いた薄っぺらなものに映ってしまう。

 

具体例を出そう。
僕としては許せないエピソードが二つある。

一つは、主人公トモの同級生であるカイのエピソードだ。
本作のメインキャラであるリンコさんは、トランスジェンダーとして戸籍以外は既に体も工事済みの大人の女性である。
彼女の若いころのエピソードも紹介されるが、若い時から自らの本来の性は女性であることを強く認識していたことが分かる。
つまり、彼女の立場からすれば、性的指向としては一般的な異性愛者ということになる。
これに対して、同性愛者の代表として描かれるのがカイ少年だ。
本作における彼の扱いは、余りにも残酷だ。
学校では同級生に同性愛的性質であることを揶揄されていじめを受け、家には同性愛を罪であると認識している母親がいる。
挙句の果てに、彼は、自分がしたためたラブレター(男性宛)が母親に破られて自室のゴミ箱に捨てられているのを発見してしまう。
映画を最後まで観ても、彼に救いらしいものは何一つない。
まさか、終盤トモが彼に多少の理解を示す台詞をかけるシーンだけで済んでいると思っているならば、よくよく考え直してもらいたい。
そんなもので救われると思ってもらっては困る。

そして、こうしたエピソードにリアリティがまるでない。
何故カイは、母親がそうした考え方であることを知っていて、男性宛のラブレターを母親が発見できるようなところに置いていたのか。
そもそも、学校でも居場所がないのに何故ラブレターなんて書いたのか。
百歩譲って母親が発見してしまうところまでは良いとして、破って彼の部屋のゴミ箱に捨てる必要があったのか。
救いがない点も含めて、悲劇的に見せるための雑な演出としか思えない。
もっと言えば、同性愛的性質の芽生えに苦悩する少年と、それを全く受け付けない母親やコミュニティという対立構図そのものが安易だ。

もう一つの許せないエピソードは、リンコさんが(なぜか)怪我をして入院するシーンだ。
彼女は、保険証が男であるため、男性用の集団病棟に移されてしまう。
この扱いに対して、マキオとトモが看護師に抗議する。
看護師の態度が過剰にふてぶてしく描かれ、「40万の個室が空いているから移ったらどうか?」と挑発したところで、マキオが「それは差別ですよ!」と激昂する。

しかし、良く考えてみて欲しい。
病院は多くの患者を相手にしているわけで、病棟の空き状況や看護師の配置だってある。
個々の事情に合わせづらいことだってあるだろう。
男性部屋に移されたことだけをとって、必ずしも差別であるとは言えないと思う。
過剰な演出が入って悲劇的に見せているだけで、まるでLGBTクレーマーのような印象になってしまう。

 

本作では、こうしたエピソードが、羅列的に、ほとんど繋がりもなく続いていく。
病院のエピソードで(なぜか)と書いたけれども、リンコさんが怪我をする必然性が、本作の中では全くない。
言い方は悪いが、ただ病院のシーンを描きたいから、ご都合主義的に怪我をしたように見える。
一つ一つのエピソードは、LGBTの方々が実際に経験されたことに基づいているのかも知れない。
でも、それらがストーリーの中で有機的に繋がっていないなら、単なる可哀そうなエピソードの紹介だ。
雑な悲劇的演出と相まって、セクシャルマイノリティが意識高い系の慰み者にされている気がして、とても不愉快だった。
それに、こうした作品に触発されて、「自分に正直にならなきゃ」などと頼んでもいないアウティングをしたがる確信犯が増えるのではないかと危惧してしまう。
同性愛者には、自らの性的指向をオープンにしたくないと思っている人だって多くいるのだ。
当事者からすれば、義侠心のアピールとしてLGBTへの理解を叫ばれても迷惑でしかないし、間違ってもブームとかにしてもらいたくない。

 

ついでにLGBTに関わらないところでも気になったところを述べておくと、本作のラストの展開には、疑問符しかなかった。
終盤、トモを置いて出て行ったはずの母親が帰ってきて、トモを引き取ることを本格的に考え始めていたマキオ・リンコと対峙する。
ここでトモは母親に付いていくことを決めて、悲し気にリンコたちと別れるのだが、まるでその悲しさを共有できない。
何故なら、トモの家とリンコの家は、歩いてもさほど離れていない距離で、会おうと思えばすぐ会えるはずなのだ。
ましてマキオはトモの実の叔父である。
さらに言えば、トモの母親が特に何か成長して変わったという描かれ方もされていない(あるいは描き方が不十分である)ので、近い将来、またトモはマキオ・リンコの元へ戻ってくるような気がしてならない。
そんなことより、リンコさんとの共同生活をバラされて居場所がなくなってしまった今後の学校生活の方が不安だ。
上映最後の方で、場内から鼻をすする音も聞こえたのだが、一体どこで泣けたのか教えて欲しかった。

 

とは言え、役者さんたちの演技は素晴らしかったと思う。
生田さんと桐谷さんはもちろん、やはり荻上監督は子どもの撮り方がうまい。
そして、食べ物の使い方も相変わらず良かった。
それだけに、脚本の悪さは本当に罪深かったと思う。
というか、彼女の作風と社会派テーマは相性が悪すぎる。
「レンタネコ」のときも仕事を馬鹿にしているとしか思えない描写があったし、もっとファンタジーな作品に特化すれば良いのではないかと感じる。