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童貞見聞録

アラサーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

死の魅力 ~リリィ・シュシュのすべて~

最近気になるニュースがあった。

www.asahi.com僕の素直な感想は、4人に1人とは随分少ないな、だった。

僕自身は、中学1年生の時によく自殺したいと考えていた。
大学に入学する際、ストレスチェックテストのようなもので、「自殺を考えたことがあるか?」という質問に愚かにも「はい」と答えたら、問診でしつこく色々と話を聞かれて閉口したことがあった。
あの時にも自分はマイノリティなのか、と思ったが、まさか世の75%の人が自殺を考えたことがないとは。
面倒を避けるためにアンケートで嘘を吐いた人が多いだけではないか、とどこかでいまだに訝しんでいる。

仕事場の同僚の方からの強い薦めもあって、ずっと観ようと思っていた岩井俊二監督の代表作「リリィ・シュシュのすべて」を観た。

リリイ・シュシュのすべて 通常版 [DVD]

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噂に違わぬ力作で、鑑賞後は数日の間、うまく感想をまとめられずにいた。
ようやく、上記の自殺の話題と重ねて、ぼんやり見えてきたので、備忘録のために残しておくことにする。
少し前の作品でもあるし、内容にも踏み込んで書こうと思う。
未鑑賞でネタバレを避けたい方は、読まないで欲しい。

 

僕にとって「リリィ・シュシュのすべて」は、様々な「自殺」を描いた作品のように映った。

言葉通りの「自殺」の他にも、作中で描かれるメインキャラクターたちの行為は、そのいずれも「自殺」めいたものを感じさせる。
例えば、髪を切るという行為。
髪は女性の命とも呼ばれるものであって、久野にとってあの行為は、ある種の「自殺」だったと思う。
そうした中で、本作の主軸となるのが、星野の「自殺」だ。
彼は、作中、ことごとく自分の大切にしていたものを壊しにかかっている。
かつての友であったはずの蓮見をいじめ、想い人であったはずの久野を嬲り、好きだったはずのリリィ・シュシュのCDを割る。
大切な他者を傷つけることで、自らを滅ぼそうとしている。

そして主人公である蓮見自身もまた、ある種の「自殺」を果たした気がしてならない。
実際、蓮見と星野はよく似ていて、現実世界でもネット世界でも互いに共鳴している部分がある。
だからこそ、蓮見は星野の「自殺」に手を貸したし、共犯者として、これからずっと十字架を背負って生きていかねばならない。
その意味で、星野の「自殺」は、同時に蓮見自身の「自殺」でもあったのだと思う。
蓮見と星野は、現実世界での関係が絶望的になってからも、ネット世界ではそれぞれ「フィリア」と「青猫」として、互いに本名を知らないまま交流を深めている。
現実世界で、「青猫」と星野が一致する瞬間が一つのきっかけになるわけだが、蓮見は薄々その可能性に気が付いていたような気がしてならない。
気づいていた上で、彼の(ひいては自分の)生存の道を探していたのではないだろうか。

久野にしろ、津田にしろ、本作を彩る女性キャラクターの「自殺」は、当事者の中で閉じていて、ある種の「強さ」を感じさせるものだった。
対して男性陣の「自殺」が、とても臆病なのが印象的だ。
自分で直接手を下すことのできない弱さが、女性陣と対照的に映る。

 

さて、彼らがそれぞれ「自殺」に向かっていく理由についても考えてみたい。
もちろん、いじめや援助交際、レイプといったセンセーショナルなトピックが描かれてはいる。
だが、理由には、もっと根源的な「寂しさ」と「憤り」があるように感じられた。

中学生は、一般に、自我に目覚める時期であると言われる。
確かに、自分自身のことを思い出しても、小学生くらいまでは、他者を通して世界を見ていたように思う。
先生だったり親だったりの整理の仕方で、自分の中に蓄積されていく。
実際、当時ニュースや新聞記事への意見を授業で話したりするときも、ほとんど親の受け売りだった気がする。
それが、中学生の頃になると、自分で感じたり考えたりという機会が増えてくる。
すると、他の人と意見が合わないような場面で、途端に不安になる。
自分に見えているものと隣の人に見えているものは、果たして本当に同じだろうか。
しかも、その違いをすり合わせるためのコミュニケーション能力が追い付かないと、「なぜ分かってくれないのか」というフラストレーションばかりが溜まっていく。
この「寂しさ」と「憤り」は、人間だれしもが持つ根源的なものだろうと思う。
対話を重ねたり、目的に照らして多少の意見の相違も許容して生きていくには、中学生は未熟すぎる。

そうした時期において、死の魅力は計り知れない。
僕自身がそうだった。
中1のとき、学校では一部の同級生から嫌がらせ、家庭では母親が入院という状況で、精神的にはいっぱいいっぱいだったのだろう。
でも、辛かったという気持ちよりも、単に死んでみたかったという気持ちの方が強かった。
死んだらどうなるのだろうという好奇心と、リセットしたいという願望と、少しだけ復讐心と。
ただし、僕の場合、幸いにもそれほどの勇気はなかったので、すぐキレイに治るようなかすり傷を手首に付けた程度で、実行に移されることはほとんどなかった。
それどころか、手首の傷を学校でクラスメイトに見せるという、最低最悪の構ってちゃんだった。
僕にとって最も消したい過去になっていて、当時を知る友達とはなるべく会いたくないとさえ思っている。

本作で描かれている「死」はどれも美しかった。
特に、鉄塔と青空、赤い凧のシーンの美しさは背筋が凍るようだ。
それだけに、この作品を中学生の僕が観ていたら…と思うと少し恐ろしい。
感化されやすい僕のことなので、もしかしたら思い切った行動に出ていたかもしれない。
そういう意味で、この歳になってから観られたことは幸運だったと言える。