童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

KING OF PRISM -PRIDE the HERO-

友人に誘われて、ずっと体験したいと思っていた応援上映に参加してきた。

kinpri.com


劇場版「KING OF PRISM -PRIDE the HERO-」劇場予告

色々と衝撃だった。
衝撃が大きすぎてどっと疲れてしまった。
日曜の20時の回を友人2人と1, 2杯飲んだほろ酔い状態で観たのだが、上映終了後、明るくなると同時に顔を見合わせて、「一杯飲んで帰ろう」と即座に決まったのが面白い。
おそらく3人とも、あの気持ちを一人で家に持って帰れる自信がなかったのだ。
あんなに感想戦が盛り上がったのも珍しい。

まず前提として、僕は応援上映も初体験なら、キンプリシリーズも初体験だった。
ひとつ前の劇場版も、Twitterやブログで散々騒がれていたことは知っていた。
開始5分で服が脱げるとか尻から蜂蜜が出るとかギリシャ神話の恰好で電車に乗ってアメリカに行って星座になるとか、様子のおかしいことが書かれていることも承知していた。
でも、実際に観た衝撃は、事前の予想を遥かに凌駕していた。

実はまだうまくまとめられる自信はないのだが、一応感想を残しておこうと思う。
ネタバレについては、後述するけれども心配する必要はない。
ネタバレできるほどに内容を理解できていないし、そもそもこの映画に「ネタバレ」という概念が存在するのかどうかすら怪しい。
それでも、少しでも映画の内容を見たくない方や、熱狂的なファンで苦言のようなものは絶対に見たくないという方は、この先を読まないでおいてもらいたい。

 

応援上映に触れる前に、まず、作品そのものに関して述べておきたい。

 

何も分からなかった。

この一言に尽きる気がする。
とにかく分からなかった。
少しも理解できなかった。

え、何で?
君は誰?
どうしてこうなった…
どこ?
うーんと、この間どれくらい経ってんの?

と、5W1Hが脳内を乱れ飛ぶ中、見せ場らしきものが暴力的に続いていく。
しかも、シーンの間が意味的に繋がらないので完全に置いていかれる。

僕なりにまとめるとすれば、これは多分、様々な作品の盛り上がり「らしき」部分を全て貼り合わせた作品だからなのだ。
間は何となく繋がっていればいい。
とにかく、皆こういうの好きでしょ、という場面を記号化して全部ぶちこんだ。
それがキンプリおよびキンプラなのだと思う。

だから多分、作り手もシーン間が繋がらないことは百も承知で、そんなことはどうでもいいと思っているのだと思う。
作中、見覚えのある競技場が一旦謎の力で壊されて、また謎の力で直される(自分で書いていても意味が不明)。
そして後半、新聞の一面に「競技場建設費1200億円が浮いた」と書かれる。
いや、最初建ってたんだからプラマイゼロだし、それ「浮いた」って言わないし。
この部分に、作り手の意識が凝縮されていると思う。
つまり、古いの一回壊したのに新しいの作るので揉めて云々という国立競技場の一件の「雰囲気」だけがトレースされて何となく混ぜ込まれ、我々のぼんやりとした記憶と淡く共鳴しているに過ぎないのだ。
あくまでも、そういう「感じ」が表現されればいい。
かなり確信犯的にそれを行っている節がある。
演出もそうなので、シンくんがエヴァリリスになるし、ジュネさんはウテナの姫宮でしかなかったりする。

 

でも、だからこその、応援上映なのだ。

ヒロくんが何故コウジくんにあれ程やられなければならないのか、100億位あった借金がどうやって返済されたのか、どうしてシンくんはプリズムジャンプなるものが飛べなくなってその後どうやって克服したのか。
とにかく次から次へと疑問が湧いてくる。
その他にも、スケート靴履いてる癖に中心付近で踊ってて、次の瞬間にはもう客席はおろか宇宙に行ってたり、何か謎の波動を浴びるとみんな全裸になるし、客席もモブの女の子6人くらい描かれて残りはコナンも捕まえきれないレベルの黒い集団だし、1シーン1シーン言いたいことがあり過ぎる。
おそらく僕は、応援上映で友人と観に行っていなければ、発狂していただろう。
いや、憤死していたかもしれない。
声に出して発散できることがこんなにも救いになるとは。

そして、既にプリズムの煌めきにやられた諸先輩方が熱い応援を投げていて、秀逸なコメントを挟んでくれる。
個人的に一番笑ったのは、ヒロくんが客を玄関で迎えるシーンで入った「不用心だよ!!」だった。
これを聞きながら、なるほどキンプラとは応援上映ありきの作品なのだということが良く分かった。

上映後の感想戦でも3人の結論になったのだが、つまり応援するための「隙」が重要だということだ。
映画の「隙」をファンたちの「好き」が埋めるという構図。
昔、ライムスターの宇多丸師匠が、アイドルとは不完全な歌唱・ダンス・トークスキルをファンたちの熱い応援が埋めるのだ、という趣旨の発言をしていたのを思い出した。
キンプラは、アイドル映画およびファンムービーの究極形と言っても良いのかも知れない。
帰りのバスの中でTwitterでファンの人の呟きを覗いていたら、映画だけからは絶対に分からないキャラクターの背景に思いを巡らして勝手に感動している人や、いい加減に応えているとしか思えない監督のキャラエピソードを有難く拝んている人ばかりで、まさに、という確信を深めるばかりだった。

 

これまでに全く観たことのなかった新しいエンターテインメントを目撃した気がする。
ただ、僕はおそらくもう観に行かないと思う。
少なくとも、応援上映で友人が一緒でなければ絶対に行かない。
どちらかと言うと、友人と酒を飲みながらDVDで1シーン1シーン止めたり巻き戻したりしてツッコミながら観たい。

凄いものを見たことには違いないが、でもこれを認めてしまうと何か失ってしまう感覚が拭えない。
割と自分は古いタイプの人間なのかもしれない。
でも、色んな作品の上澄みを軒並みデフォルメしてぶっこむ手法は、ある意味で大衆芸能の原型なのではないか、という気もする。
落語だって歌舞伎だって、皆が喜ぶ展開をまとめて盛り上げているのではなかったか。
「これは冒涜だ」と「いや、でもこれこそ…?」という自問自答が繰り返されて本当に悩ましい。
などと書いていたら、結構好きなんじゃないかという気がしてきた。