童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

ハーフのトラウマ

ずっと、いつか書いておかなければならないと思っていたことがある。
度々ほのめかしてきたけれども、僕が中1の頃に同級生から受けていた嫌がらせについてだ。
ただ、不幸自慢のようになったり、言い訳がましくなったりすることは避けたかった。
どのように書くべきか悩んでいたのだが、前回の記事をまとめているときに、少し別の切り口からまとめてみようかと思い当たった。

これから書くことは、前回の内容からすると、少し矛盾しているように映るかもしれない。
有体に言うならば、僕に嫌がらせを仕掛けていた張本人がハーフだったために、しばらくハーフに対するトラウマのようなものがあったということだ。
結局「血」にこだわっているじゃないか、差別じゃないか、と言われればその通りかも知れない。
ただ、一応、トラウマがあるからと言ってそれを態度や言動に出したことはないはずなので許してもらいたい。
それに、実はこのトラウマは、その後何年も経って、トラウマの原因とは全く無関係に払拭されることになった。
そこで、トラウマの原因たる嫌がらせの部分と、それが解消された経緯を一緒にまとめておこうと思う。

ちなみに、「いじめ」と書かないのには理由がある。
「いじめ」と呼んでしまうには少し特殊だし、本当に苦しんでいる人たちに対して失礼だと思うからだ。
いまだに自分が「いじめられていた」ということを認めたくない、というわけではないつもりだ。

 

中1の頃、僕に嫌がらせを仕掛けていたのは、ハーフの女の子だった。
中学に入学して最初の座席(出席番号順)でたまたま彼女が隣であった。
嫌がらせの内容としては、彼女がクラスの暴れん坊男子に僕を殴るよう頼み、殴られる様子を見てただ笑っている、というようなものだった。
少なくとも僕の視点からはそのようにしか見えなかった。

きっかけは良く覚えていない。
入学当初はちょうど母親が入院した時期と重なっていて、精神的にも肉体的にもいっぱいいっぱいだった。
入学式がまさに入院日で、その二日後位が手術日だったはずだ。
その後も、学校から帰ると制服を脱いで入院先まで通う、という生活が続いていた。
そんなこともあって、入学時点でかなり暗く、周りに馴染む努力もしていなかったし、活動的なクラブに入るということもなかった。
野暮ったくてのろまそうで根暗な感じの男子は、ターゲットにしやすかったのかも知れない。

とにかく、印象としては「分からない」ということだった。
何故、彼女がそんなことをするのかまるで理解できなかったのだ。
特に僕が彼女に何かしたわけではない。
ただ、彼女は人が殴られているところを観るのが好きだった、としか思われなかったし、実際そのように彼女は振舞っていた。
嗜虐趣味とか呼べば良いのだろうか、スーパーサディスティック少女だったのだ。
僕の中にはまるでない嗜好だったので、全く別の生き物に弄ばれているような感覚だった。
これが、僕の中に、ほとんど差別と言って良いトラウマが生まれた経緯だ。

 「分からない」が最も強い印象だったとは言え、辛いものは辛い。
精神的に参っていたのか、当時の状況に自分で酔っていたのか良く分からないのだが、殴られる状況に対して必死に抵抗したり、首謀者である彼女に強く歯向かったりした覚えがない。
所詮中1の暴力なので大したことはないし、実行していた暴れん坊男子は小学生の頃から良く知る間柄で、今思えば彼なりにかなり加減していた気もする。
というか、彼にとっても悪ふざけの延長だったのだと思う。
傍から見ても単にじゃれているように見えていたのかも知れない。
多分1学期中位はその状況が続いて、その間に僕は手首に傷を付けてはクラスメイトに見せるような大変痛々しい少年になっていた。
当時、クラスメイト達が主に傍観していたのも仕方のない話だ。
悪ふざけなのかいじめなのか微妙だし、そもそも仲良くもないメンヘラ男子のために割って入る理由はない。

ちなみに、学校でそんな状態になっていることは、家では隠し通していた(つもりだ)。
嫌がらせが加速し始めて、家の留守電に悪ふざけのメッセージを残されるようになったのには苦労させられた。
母が入院していた頃は良かったが、退院後は何があっても耳に入れまいと必死だった。
ただ、本当は気付いていたかもしれない。
今となってはもう互いにそれを確認し合うことはないだろう。
お互いが事情を知っているかもしれないことは先刻ご承知の上で、お互いに知らんぷりし続けるだけだ。

事態は、教師の介入によって大きく急転した。
僕と彼女は、それぞれ個別に呼び出されて話を聞かれた。
他のクラスメイト達は、当事者がいない状態で話し合いが行われたようだった。
その次の日から、文字通り、全てのことが一変した。
嫌がらせがなくなったばかりでなく、むしろ彼女の方が孤立するようになっていたのだ。
今でも覚えているのは、彼女の横にくっついていつも脅迫めいたことを言っていた女子生徒が、「今までごめん、アイツとはもう絶交したからこれからは仲良くしよう」と話しかけてきたことだ。
余りの変わり身の速さに、正直付いていけなかった。
(暴れん坊男子については、元々話が通じるような奴ではなかったため、特に何も変わらなかった)
この頃には家の入院問題も落ち着きを見せていて、2学期が始まると僕の方は全く問題なくなっていた。

 

この話には、2つほど後日談がある。

一つは、2学期以降のどこかのタイミングで、嫌がらせの首謀者たる彼女から怒った調子で「別に何もしていないのに何でそんな冷たい態度を取るのか」と言われたことだ。
心の底から驚いた、と同時にまだ人間ができていなかった僕は怒ってしまった。
「何もしていない」と、本当に思っているのか。
もう一つは、彼女の卒業文集だ。
そこには、「中1のときにいじめられたけれども、すごく成長できた」と書かれていた。
正直、目を疑った。

でも、どちらも本当なのかもしれない。
彼女は、ただ楽しく遊んでいただけだったのだ。
彼女の視点から見れば、僕はその遊びを甘んじて受け入れていたのであって、本当に嫌がっていたわけではなかった。
だから自分は何も悪いことはしていないし、それなのに何故か教師が介入してきて、挙句友達だと思っていた人が離れていき、クラスで孤立する羽目に陥った。
確かに辛かったかもしれない。

ただ、当時の僕には、都合の良い記憶の改ざんが行われたようにしか思われなくて、余計にトラウマを深める結果となっていた。

 

さて、こうして植え付けられたハーフ(というか欧米人風の顔立ち)に対する反射的な恐怖感は、この一件から10年の時を経て、払拭されることになる。

きっかけは、バイトだった。
時給が良いこともあって、当時、中高生や浪人生相手に理科や数学の個別指導をしていた。
そこそこ時間もあったため何人か掛け持ちで生徒を持っていたのだが、その中の一人がハーフだった。

彼は、都内の有名私立大学に在籍しながら予備校に通うという、いわゆる仮面浪人をしていた。
文系だけれども、国立文系には数学も必要、ということで、僕に話が回ってきた。
正直、最初話を貰ったとき、トラウマのせいでかなり抵抗感があった。
とは言え仕事は仕事なのでお引き受けしたのだが、初対面のときイケメンハーフが顔を見せたとき僕の方は緊張のピークだった。
ところが、彼と僕はその日一気に打ち解けて、授業以外でも会うような仲になったのだ。

多分それは、顔かたちはまるで違ったけれども、思考や興味の方向などが、驚くほど良く似ていたからだと思う。
特に、人との距離の取り方がとても良く似ていた。
彼は、特にそれを直接言ったことはないが、常に自分がアウトサイダーであるという意識があったようだ。
だから、話していても、絶対に踏み込ませない領域を常に持っている印象があった。
それは僕も同じだったので、お互い程よい距離感で話ができていたのだと思う。
というか、個別指導の教師と生徒は期間限定でもあるし、人間関係としては都合が良かったのだろう。
話をしている内にお互いの心の闇を何となく嗅ぎ取って、以降は授業のたびに、数学というよりもほぼカウンセリングのような状態になっていった。
それでも彼は無事志望大学に合格し、20歳を迎えたとき、僕の「元教え子とお酒が飲みたい」夢を叶えてくれた。

この一件があってから、ハーフに対する恐怖感は鳴りを潜めている。
自分でも単純だと思うが、自分に良く似たハーフと出会ったことで、この世には色々なハーフが存在するという当たり前の事実を実感できたことが大きいのだろう。
最も遠いハーフによって植え付けられたトラウマは、誰よりも近かった可能性のあるハーフによって払拭された。
生きていれば、こんな面白いことも起こるのだな、としみじみ思う。
中1の頃の自分がまかり間違って人生を終わらせてしまっていなくて、本当に良かった。