童貞見聞録

アラサーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

マインド・ゲーム

先月、早稲田松竹湯浅政明特集が組まれた。
今年は、「夜は短し歩けよ乙女」「夜明け告げるルーのうた」と名作を連発し、改めて過去の作品にも注目が集まっている。
週末はかなりの人を集めて立ち見でも入れないという状況だったようだが、幸運にも平日に行くことができて、比較的苦労せずに入れた。
ラジオで宇多丸師匠や星野源さんなどが絶賛していて、前々から観たいと思っていた「マインド・ゲーム」をようやく観ることできた。

www.mindgame.jp

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観終わってまず感じたのが、とてつもない疲労感だった。
とにかく情報量が多い。
切り張りされたようなシーンの連続が、一見繋がらないようでいながら実はちゃんと有機的に結びつき、物語に絡んでいく。
ある色で塗られた景色も次の瞬間には別の色に変わり、視点もあちこち飛ぶ。
一瞬たりとも目が離せないし息がつけないのだ。

正直に言うと、余りにも胸と頭がいっぱいになり過ぎて感想をまとめられる気がしなかった。
というか、本当ならDVDを手に入れて1シーン1シーン止めながら熟考したかった。
しかし、なかなかそんな時間も取れないし、これをまとめないと次に進めないような気もしたので、無理やりまとめておきたいと思う。
後で書き足すかもしれない。

 

主人公である西は、冒頭、しょぼくれた漫画家志望のフリーターであり、かつての恋人であるみょんとの再会を果たすも、既に婚約果たした彼女にいまだに未練たらたら。およそ褒めるべきところがないまま、情けない死を遂げる。しかし、そこで彼は「神」に出会い、己の不甲斐なさを悔い、必死に生きることを誓って生き直すことになる。

本作の持つメッセージはかなり明快で、終始一貫している。

「今」を必死に生きること

このことの重要性が、時にグロテスクに、時にスリリングに、時にスタイリッシュに、何度も提示されている気がした。
「今」とわざわざカッコつきで書いたのは、この「今」の捉え方こそ、この作品の本質ではないかと思ったからだ。

 

「今」とは何か。
この疑問を持ったとき、大学の頃に受けた相対論の授業で、ミンコフスキー時空を習ったときのことを思い出した。
ミンコフスキー時空について噛み砕いて説明するとこうなる。

星の話をするときに、よく「〇〇光年離れている」という表現を目にすると思う。
知っている人も多いと思うが、これは光の速さで〇〇年かかる距離にある、ということを意味している。
つまり、言葉を変えれば、我々の目に映っているのは〇〇年前のその星の光であって、もしかすると、その星の時間ではもう既に爆発してなくなっているかもしれないのだ。
この話は何も星に限ったことではない。
僕らが目にしているものは全て、その物体からやってきた光を認識して初めて「見える」。
つまり、全てのものは、厳密な意味では少し過去のものなのだ。
これをミンコフスキーという人がうまいこと図にまとめたものをミンコフスキー時空図と呼ぶ。

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この図では下から上に向かって時間が進んでいって横に空間が広がっている。
円錐の側面は光速を意味していて、要するに、この下の円錐の内側のものしか原点にいる観測者は認識できないし、上の円錐の内側にしか働きかけることができない。
円錐の外のものとは、どこまでいっても因果関係を持てない。
注目してほしいのは、「観測者」と書かれた現在だ。
現在は点であり、空間的には他のどれとも関わることがない。
初めてこの図を教えられたときに、何て寂しい図だろうと思ったのを覚えている。
「今」はたった一人のもので、いかなるものとも重ならないし共有されないからだ。
マインド・ゲーム」も、まさにこの図のように「今」を捉えているような気がする。
「今」というのは超個人的なものであって、それを必死で生きることは、実は孤独なことなのだ。

さて、「今」はたった一点で、他の何者とも関われないと書いたけれども、では自分以外の場所には何があるのか。
それは、その瞬間あり得たかもしれない無数の「自分」、SF的な言い方をすれば別の「宇宙」的な何かなのだろうと思われる。
マインド・ゲーム」の凄いところは、その別の「自分」とか「宇宙」に乗り換えるのは、「マインド」次第なのだ、と提示しているところだろう。

本作は度々、無数のあり得たかもしれない思い出と現在と未来が、整理されていないアルバムのように次々と映し出されるシーンが挟まれる。
あれは、まさにミンコフスキー時空図で因果関係なしとされた円錐の外の映像なのではないだろうか。
そして、西は一度死んだ後、自らのマインドを変えることで別の「宇宙」に乗り換える。
ストーリーが進んでいくと、無数の「宇宙」の映像がサブリミナル効果のように効いて、伏線が回収されたような謎のカタルシスを抱かせる。

考えてみれば、我々が見ている宇宙は、全て単なる認知に過ぎない。
認知すなわち「マインド」を変えれば、「宇宙」が変わるというのは、当たり前のことなのかも知れない。
その象徴が、あの「神」なのだろう。
決まった形をとらずに、次々と変化していく姿。
あれは、認知によって乗り換わっていく「宇宙」そのもの、と考えれば良いのかも知れない。

 

半分以上、自分の妄想を書いてしまった気がする。
ただ、アニメ映画として、単純に物凄く面白い作品であることは間違いない。
そもそも、平行世界×湯浅政明というのは、「四畳半神話大系」から入った僕にとって大好物で、その方向性の極限を観た気がした。
アクションとしても楽しめるし、ギャグとしても楽しめるし、ハードボイルドでかつポップであり、とにかく楽しいのだ。
個人的には、とある生き物の中に閉じ込められた世界(ゲームで言う「ハマり」状態)の表現とか演出は、抜群に素晴らしいと感じた。
もう入手困難になっているようだが、是非とも円盤を手に入れてじっくりと見直したい。