童貞見聞録

アラサーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

一人っ子の憂鬱と自由

ブログを始めてから一年以上が経ったが、今のところ何とか続いている。
自分で書くのももちろん楽しいけれども、それ以上に他の皆さんのブログが面白くて、購読ブログの新着情報を開くのが日課になっている。
「〇〇の方法」とか「××してみた」とかは個人的にあまり好みではなくて、様々な思いを抱えた著者が内面を吐露するようなものが好きだ。
皆さん文章も上手いし色々な体験をされていて、こんな風に書くとおこがましいのだけれど、ああ一人ではなかった、と安心する部分があるからかもしれない。

その中でも、ゲイとして生きる君へは、特に興味深く読ませてもらっているブログの一つだ。
著者である神原さんの同性愛者としての体験が、かなり赤裸々に綴られている。
自分もセクシャルマイノリティの一人だと勝手に思っているので、自分との共通点や相違点が顕わに感じられるのが、自己分析という意味でも大変ありがたかった。
文体は押しつけがましいところがなくて、その一方でユーモアやスリルもあったり、飽きがこない工夫がされているのを感じる。
文章でしか存じ上げないけれども、おそらく非常に気遣いのマメな方だろうというのが伝わってきて、勝手に好感を持ってしまっている。

さて、そのブログで、最近こんな記事が載せられた。

mituteru66.hatenablog.comお兄さんへの想いが綴られる中で、「兄貴がいなければって思う時がある」という部分を読んだときに、僕は衝撃を受けた。
言及記事なんてほとんど書いたことなかったけれども、ブログの紹介ついでに、その衝撃の理由を少しまとめておこうと思う。

 

衝撃の理由は簡単で、そんな風に思うことを想像したことがなかったからだ。
 

以前の記事でも書いたが、僕には一応姉がいるものの、20年以上絶縁状態にあるため、僕は、ほとんど一人っ子として育てられた。
事実上娘を失っているという状況もあってか、ことによると普通の一人っ子よりも、息子である僕への期待は大きかったのかも知れない。
最近はあまり言ってこないが、「結婚」とか「孫」ということに対しても強い願望があるのは感じている。

だから、自分の性的指向に疑問を持ち始めた時からずっと、「一人っ子でさえなかったら」と思い続けて生きてきた。
もし、僕に「普通」の兄弟姉妹がいて、配偶者を持って子供を作ってくれれば、と何度思ったか分からない。
そうすれば、両親が近所の子ども事情にやたら詳しくなったり、祖母を訪ねてきた従姉の子どもの話を嬉々として語るのを、罪悪感を持って聞く必要もなくなるのに。
どうも姉は結婚したらしいので、もしかしたら、まだ見ぬ孫(僕からすると甥か姪)がいるかもしれない。
父がいよいよ、という時には、探偵でも雇って居場所を突き止めて、とにかく頭を下げて会いに来てもらうしかないか、と考えたりすらしている。

そんな風な考えだったために、神原さんの上記のフレーズは、まさに思いもよらぬものであった。
お兄さんがいて、結婚されていて、甥もいる。
まさに、僕の欲しかったものだった。
でも、確かに翻って見て、自分は一人っ子だからこそ、良かった部分はなかっただろうか。
いつまでも独身でいる弟として、義姉や甥との付き合いに気を遣ったり、距離を取ろうと思うなんてことは、全く想像できていなかった。
それに、確かに僕の悩みは、せいぜい両親が亡くなるところまでだ。
それを過ぎたら完全な自由が待っているというのは、その通りだった。
きっと兄弟がいたらいたで、何か不満を持っていたに違いない。
結局、与えられた状況の中で、良い面悪い面を受け入れて、全員がなるべく気持ちの良い関係を続けていくしかないのだ。

 

月並みなことを言うようだが、やはり、人の意見や立場を知ることは大事だ。
自分の世界の狭さに恥じ入ることばかりだけれども、僕の場合、そうして体験や価値観が共有されていくことが生き易さに直結している実感がある。
それに、単純な話として、別の視点が導入されると、世界が違って見えて面白い。
これからも、人のブログは積極的に覗きに行きたいと思っている。