童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

キャラクターの呪縛

2月、余りに実験が立て込んで更新が久しぶりになってしまった。
ここのところ、ブログの本来の目的から外れたことばかり記事にしていたので、たまには戻ろうと思う。
どのような経緯で自分のような人間が出来上がったのか。
今回は、小学生くらいの頃の自分を振り返ってみたい。
まだ、自分の性的指向がおかしいとは特に考えていなかった頃の話だ。

 

以前にも別の記事で書いたような気もするが、僕は小学生の頃、同性の友達がほとんどできなかった。
早生まれで体も小さかったこともあり、入学当初は周りの元気な男の子たちについていけなかったのかも知れない。
外で遊ぶよりは中で遊びたいし、チャンバラよりごっこ遊びが好きだった。
卵が先か鶏が先か、女子の友達とばかり遊ぶことと、僕の趣味・嗜好が女子っぽいこととの間には深い関係があるように思う。

加えて、僕は酷く引っ込み思案で、強く人と争ったりすることのできない子供だった。
今まで殴り合いの喧嘩なんてしたことがない。
校内暴力に巻き込まれても、マハトマ・ガンジーよろしく非暴力主義を貫いていた。
だからか、上級生にちょっかいを出されたり、それを女の子に守られてしまったり、要するにヘタレだった。
特に勉強ができるわけでもなかったし、もちろん運動もできなかった。
自分に自信が持てなくて、仲良くなった女子達の陰に隠れるようにして生きていたと思う。

 

さて、小学校で女子の友達とばかりつるんでいる内気な男子はどのような扱いを受けるか、元小学生の方々は容易に想像できるだろう。
「オカマ」とか「女男」とか、学年が上がるにつれてどんどん言われるようになって、からかいの対象になっていった。
最初は良く意味が分からなかったのだけれども、どうも侮辱されているらしいということだけ分かって、ただただ恥ずかしかったのを覚えている。
この時に、女子とばかり遊んでいるのは変なことなのだ、と脳に植え付けられたような気がする。
それでも、中学校でようやくまともな同性の友達ができるまで、あるいはできてからも、女子に交じって遊んでばかりいたのだから、余程僕にとっては直しようのない部分だったのだろう。

年々クラスメイト(主に男子)に揶揄されるようになって、小学6年生になった頃、僕はある行動に出た。
「オカマ」をキャラクターとして受け入れてしまったのだ。
具体的には何をしたかと言うと、まず言葉遣いをいわゆる「オネエ言葉」にした。
語尾をそれっぽくしたり、一人称を「あたし」にしたり。
そして、当時女子の間ではラメが入った色付きボールペンが流行っていて、それを爪に塗ってマニキュアにしたりしていた。
もう書くのも恥ずかしくて仕方がないのだが、周囲からは最早「ママ」と呼ばれ、それを甘んじて受け入れていた。
弱気な僕は、からかわれて否定するよりも、そのものになりきった方が楽だと思ってしまったのだ。

 

ただ、元々は自分は「女子ではない」と思っているので、段々それも限界がきた。
というか正確に言うと、限界を感じたことで、やはり自分は女子になりたいわけではないのだ、と分かった。
特に印象に残っているのは、ある日、担任の先生から「ママ」と呼ばれたときだ。
一見それを受け入れてそう振舞っていたのだから、先生には何の落ち度もない。
ちょっと生徒たちの真似をして、ニックネームで呼んでみたくらいの話だ。
でも当時の僕は、何故か強烈な嫌悪感を覚えて、絶対にそんな風に呼んでくれるな、と先生に頼んだことを覚えている。
自分の性別が「女ではない」という認識ができた瞬間のような気がする。
ある意味、期せずして、キャラクターを付けるという実験をしたことになっていた。

その後、有耶無耶な状況が続き、そうこうしている内に卒業になってしまった。
一時的に装っていた「オカマ」も、いつの間にか止めていた。

ところが、一度入れたキャラクターというのはなかなか抜けないものである。
それが呪いのように後の人生に影響を与え続けた気がしてならない。
例えば、一人称。
元々「俺」は使っていなかったけれど、「僕」に戻そうにも何だか違和感があって、「うち」とか「小生」とか、その時々にハマっていた漫画の影響を受けながら長い変遷を辿っていった。
中学に入ってすぐの頃に周りと上手く話せなかったのも、このキャラの名残に悩まされていたことが一因だろう。
現在でも普段の喋りが女性的になりがちで、やはりその根っこはこの頃にあるような気がする。

 

10代くらいの頃は、小学6年の自分がした過激な選択を愚かしく思って後悔していた。
でも、今になってみると、それも悪くなかった気がしている。
もちろん、それで苦労したことは沢山あるのだけれど、結果的にはあれをやったおかげで、自分の性別に対する認識の一端を知ることができた。
自分のことなのに、やってみなければ分からない。
今も昔も、つくづく、自分は自分のことが良く分かっていない。
これからも苦労と後悔を繰り返しながら、自身のことを知っていくのだろう。
願わくば、僕に関わる人々に迷惑が掛からないで欲しいものだ。