童貞見聞録

アラサーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

腐女子へのシンパシー

先日、今シーズンのねほりんぱほりんが最終回を迎えた。
以前、記事にしたパパ活女子以降も、トップオタやホストに貢ぐ女たちなど、毎回刺激的な内容が続いて、スタッフの皆さんの力量に感嘆するばかりだった。
その中で、個人的に最も親近感を覚えたのが、「腐女子」の回であった。

思い返してみると、自分の友人にはいわゆる腐女子が多い。
中学の頃には、当たり前のように腐女子の皆さんから肌色の多い漫画を借りて読んだりしていた。
それは、ただ自分にゲイの要素があったからなのだと思っていたのだが、この回を観ていて、本当の理由が良く分かった。

 

最近ではもうすっかりお茶の間にも浸透した言葉であるが、もう一度「腐女子」についてまとめておきたい。
腐女子とは、男性同士の恋愛を描いた、いわゆるボーイズラブ(BL)ものの小説や漫画を好む女性たちを指す総称である。
僕の記憶が確かならば、「やおい」とか「BL」という言葉は中学生の頃には既にあったように思うが、「腐女子」という言葉が拡がったのはもっと後になってからだったような気がする。
しかし、そもそも日本の少女漫画の中のBL要素の歴史は長い。
萩尾望都先生の作品には通底するテーマの一つであったし、そうしたものに「萌える」文化はかなり古くから形成されていたと言って良い。
男性側だって、女性同士の性愛を描いた二次創作が人気を集めたりするところを観ると、性別を超えて人間に備わる嗜好の一つなのではないかと考えてしまう。

 

折角なので自分にとっての最初のBLを思い出してみると、やはり山岸凉子先生の「日出処の天子」だろう。

日出処の天子 完全版 1 (MFコミックス ダ・ヴィンチシリーズ)
何故両親がそれを全巻揃えていたのかは謎だが、子どもの読むものに特に規制を設けない家だったので、小学生で既に読んでいたと思う。
読んだことある方はご存知かと思うが、聖徳太子蘇我蝦夷を中心に据えた歴史もの、でありながら同性愛や近親相関といったショッキングなテーマを扱った作品で、子どもながらに割と衝撃を受けた覚えがある。
今でも折に触れて読み直す大好きな作品の一つだ。

そして、もう少し時間が経つと、今度はソフトでもっと即物的なBLに出会う。
小学校6年生だったと思うのだが、僕は当時少年ジャンプで連載されていた「封神演義」という漫画にハマっていた。

封神演義 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 
単行本や設定資料集をせっせと集めていたのだが、ある日、あまり見たことのないポップな色の封神演義の本が店頭に並んでいるのを発見した。
察しの良い方ならもう分かるかも知れないが、いわゆる二次創作のアンソロジー本である。
当然幾つかの短編の中に性行為の描写も入っていて、まだ純真だったTamago_Polo少年は大層驚いた。
というか嫌悪感が先に来た。
何か汚らわしい、子どもが読んではいけないものを買ってしまった気がして、もちろん絶対に親にバレるわけにはいかないし、雨の夜に近所に捨てに行った覚えがある。
何故か川沿いに捨てられているエロ本の類はこうして作り出されているのか、と思ったものである。

中学校で腐女子の友達が多く出来た後は、男性同士の性描写もバンバン見せられて段々と何とも思わなくなっていった。
彼女たちに借りたものの中でかなり強烈に覚えているのは、尾崎南先生の「絶愛-1989-」だ。

絶愛―1989― 1 (マーガレットコミックスDIGITAL)

男性同士の恋愛感情をかなりドラマチックかつ大真面目に描いていて、男性にも性的興奮を覚えることに気づき始めていた中学生の僕に、少なからず響いた作品だった。

 

さて、ここまでは僕のちょっと恥ずかしいBL文化体験を披露してきたが、何故自分の周りに腐女子が多いのかは、実は良く分からなかった。
確かに、ゲイ(あるいはバイ)の要素が自分にあったということはあるが、BL作品は必ずしもゲイらしくはないし、彼女たちにカミングアウトしたこともない。
同人とかで観られるいわゆる「腐女子向け」の軽い本は、正直に言うと苦手な部類に入る。

この疑問に、「ねほりんぱほりん」は答えを出してくれた。

これを観て、なるほどと思った。
多少言葉は違うけれども、僕が少し前に自分を使ってやっていた実験の結果とほぼ同じことを言っている。
僕の場合、普通に恋愛をしている男女(あるいは男男・女女)どちらにも自分を重ねることができない。
ただ、自分のいない世界で起きる悲喜こもごもを見守ることに喜びを感じている。
まさに、同じ思考だ。
彼女たちは「自分を重ねるのがつらい」と言っているが、そもそも重ねられないという点が違うだけだ。

つまり、僕は通常の男女の恋愛作品も全て、「腐女子」的に楽しんでいると言っても過言ではない。
「逃げ恥」が流行っていたときに良く言っていた「平匡さんとみくりさんに愛でられる十姉妹になりたい」というのも、考えてみればとっても「腐女子」的だ。
上記の最後の言葉とほぼ同じである。

「わたしは壁になりたい」byイヅミさん

僕に腐女子の友人が多いのは、そうした僕のスタンスが共鳴するからなのだろう。
描かれる恋愛に自己を投影しないこと。
これが、自分と彼女たちを結ぶ最も大きな共通点だということが、良く理解できた回だった。