童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

ポスドクからの進化過程

最近、以下の記事をとても興味深く読ませてもらった。

www.ki1tos.com

一応僕も普段は研究者の端くれとして飯を食っているので、この問題についてはいつか触れておくべきかと思っていた。
書かれていることについて、ほぼ僕の感覚に近かったので、やはり業界が違っても状況はそう変わらないらしい。
カウリスマキ監督贔屓の僕にとって、お名前にも勝手に親近感)
ただ、大きく違うことと言えば、僕には彼ほど「自分の研究」に対する情熱や「大学教員」に対する憧れが元々なかった、ということだろうか。
(僕の博士号取得までの道のりは以前の記事にまとめている)

自分の場合の状況を少し整理してまとめた上で、なぜ自分が博士号をとってアカデミックの世界に残っているか、現時点の考えを書き留めておこうと思う。
僕の場合、厳密には大学教員ではないので、敢えて広く「アカデミックの世界に残る」と書いている。

 

僕は、ポスドクを3年ほど経験した後、やはり期限付きだがその後定年制への移行が考慮される「テニュアトラック」が付記されたポストに運よく就くことができた。

アカデミックの世界でも団塊世代の引退が続いており、人手不足はかなり深刻な状況になっている。
とは言え、教授ポストが抜けても、人員削減の流れでポスト自体が消えることも少なくない。
任期なしポストが足りず、少ない公募に応募が集中する状況はどこの分野でも似たり寄ったりだろう。
そうした状況において、何故、自分がそのポストを得ることができたのか。
色々と理由はあれど、一番大きかったのは、そのポスト(現在の自分のポスト)の特殊性にあるだろうと思っている。

 

どこの世界にも、マイナーだけれども絶対に必要な技術が存在する。
若者が憧れて集まってくるような分かりやすい魅力はないけれども、このまま廃れてしまうと皆が困る。
僕が現在就いているのは、そういう分野だ。

元々、学位を取った専門から近いかと言えば、感覚的には全然違う。
例えるなら、元々は美味しい料理の研究をしていたのだが、野菜を作るポストに就いたような感じだ。
大きな意味で食べ物に関わる仕事をしているけれども、実際の仕事内容は大きく変わっている。

全国津々浦々の料理研究家は、僕たちが野菜を作らなければ研究ができない。
そして野菜の作り方の研究は、結局料理の美味しさの基本になる。
ところが、派手さはないので人手不足が深刻である。
そのために、料理研究の世界ではあぶれそうな自分のような人間にも居場所があったというわけだ。
はじめこそ新しいことばかりで(ブログも書けなくなる位)右往左往であったが、大分慣れてきて、最近は少しずつ小さな成果も得られ始めている。
テニュアトラックの審査も無事に通過し、晴れて任期なしの状態に落ち着くことができた。

 

さて、ざっと自分のポスドク以降の道のりと、何故そこに至ったかを分析してみて、つくづく自分にはこだわりがないと呆れてしまう。
研究に対する強い情熱も憧れもなく、ただ漫然と好奇心と義理だけでここまで流れてきてしまった。

もちろん、現在の自分のポジションに愛着はあるし、自分だって業界に必要な仕事だと思ったから飛び込んだのだ。
だけれども、飛び込めて「しまった」のは、それまでの研究に特にこだわりがなかったからだとも言える。
それは、研究者として正しいのか?
全国の華々しい「料理研究家」の仕事を手伝えるから良いとも思ったが、それは研究者ではなく技術者ではないか?

どんな研究でも興味を持って取り組める、というのは、何にも興味がないということと同じかもしれない。
博愛主義者は、虚無主義者であることと何ら変わらないかもしれない。
何より「これは必要な仕事だから」と、自ら選んだのではなく「選ばされた」かのようなスタンスが透けて見えるのが、自分のことながら鼻につく。
一度治まったはずの悩みの虫が、また鳴き始めている。

 

上記のkitosさんの記事は、 

安楽死みたいなものかもしれない。 アカデミックな安楽死。なんかいい響きだな。この記事のタイトルにしようかな。 ダメだ、何のことだかさっぱりわからない。

なぜ博士号をとったのに大学教員にならないのか - いつか博士になる人へ

と結んでいてる。
もしや、僕の場合、植物状態で家族に迷惑をかけ続けている最悪な状態では?
こんなに後ろ向きなことを書くつもりはなかったのだけれども、少し疲れているのかもしれない。
30過ぎても不安は尽きないものである。