童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

安楽死と劣生思想

全く別の記事を書き始めていたのだが、少し気になる事件が起きてしまったので、新鮮なうちに記事にしておこうと思う。

連休が始まってすぐの昨日、ALSに罹患した女性を安楽死させたとして二人の医師が逮捕された。
難病に冒されて安らかな死を望む患者による、いわゆる嘱託殺人である。

www.kyoto-np.co.jp

一見すれば、目の前で苦しむ患者の願いと医師としての倫理の狭間での葛藤が透けて見える悲しい事件である。
報道をきっかけにTwitterなどのSNSでは、現在の日本で認められていない「安楽死」に関する様々な意見が投稿されていた。

ところが、追いかけるように容疑者の詳細が報道され始めると様相は一変する。
安楽死を依頼された医師は優生思想の持ち主だったというのだ。

bunshun.jpこれを受けて、トーンは変わったものの、SNS上の議論はさらに加速した。
ただ全体の意見としては、「優生思想は言語道断だが、それとは別に、安楽死については冷静に議論されるべき」というものが多いように見える。
(きちんと調べたわけではないので完全に印象だが)

しかし、僕自身がこの事件に関する一連の報道を見ていて思ったことは、むしろ「安楽死」と「優生思想」は個別に議論して良い問題ではない、ということだった。

 

僕程度が考えることは、既に誰かも考えているわけで、以下のようなツイートがバズっていた。

ある意味で、これが僕の感じたものをまさに言い当てている。
安楽死は、非常にパーソナルな問題として理想化して考えがちが、当事者の外まで拡張した場合、どのように扱われうるか。
それを考えると、安楽死と優生思想は極めて相性が良く、安易に結びついてしまうものなのだ、ということが今回の事件でより良く実感することができた。
そう言えば、相模原の連続殺人事件の容疑者もまた、障碍者安楽死について政治家に手紙を送ったりしていた。

優生思想自体は、常に誰にでも芽生え得る、ほぼ人間の業とも言うべき思想だと思っている。
ナチスを思い浮かべるまでもなく、姥捨山や旧優生保護法など枚挙に暇がないほどどこにでも蔓延っている。
だからこそ、我々は自らに立ち上がるその闇と向き合い続ける必要があると以前のブログにも書いていた。

 

それにしても、何故、安楽死と優生思想はこんなにも相性が良いのか。
報道の後あれこれ考えていて、そもそも安楽死を望む心とは、優生思想の鏡映しとも言える「劣生思想」に基づいていないか、という考えに至った。

不治の病にかかる、障碍がある、老いる。
様々な理由で健康に働けなかったり、誰かの世話にならざるを得なかったりして、自らの社会的な役割を見いだせない人々は多くいる。
自分は、生きていて本当に価値があるのか。
それどころか、家族の、ひいては社会のお荷物になっていないか。
そこへさらに身体的な苦痛が伴ったりすれば、当然、安楽死は魅力的な選択肢となり得る。

と言うか、僕自身もそうした劣生思想に陥ることが良くある。
まず、性的少数者であるために、子孫を残すという形で社会の再生産を担うことは難しい。
少し前、どこかの政治家が「生産性がない」などと発言していたが、そんなことは言われるまでもなく、当事者たちが子供の頃から何度も呪いのように考えて苦しんでいることだ。
そして、研究者などという仕事をしていると、果たして自分の研究は誰かにとって意味があるのか、などと考えてしまう瞬間がある。
特にコロナウィルスで社会全体が大変なことになっている中、いつもと同じ額の給料が振り込まれているのを見ると居た堪れない気持ちになる。
自分なんかより、最前線で戦っている医療従事者や保健所の方々や、大打撃を受けて廃業寸前に追い込まれている飲食業の方々こそが受け取るべきではないか。
思いながらも結局しっかり給料を受け取っているのだから、つくづく偽善者だと思う。

そうした小さな劣生思想の延長上に自殺願望があり、安楽死へと繋がっていくように思えてならない。
もちろん、治癒の見込みがない病で壮絶な苦しみの中にあって尊厳死を望む、という文脈での安楽死がある意味で王道と言えるだろう。
安楽死を認めるべきと主張する人々の主な根拠である。
しかしそれだって、苦しさの中でも自らがこの世に必要な存在だと感じていたらどうか。
件の事件の被害者であるALS患者の彼女が、自分にしかできないことをまだやり残していると感じていたら、果たして同じように死を望んだだろうか。
今回の事件を、被害者の劣生思想と容疑者の優生思想の利害関係の一致と見ることはできないか。

 

やはり、安楽死と優生思想は切っても切り離せない関係にあるように思う。
そして、安楽死を望む人々の背後に漂う劣生思想につけこんで優生思想が蔓延ることこそが恐ろしい。
劣生思想に冒されがちな一人として、僕は、自らの権利としての安楽死はやはり認めて欲しいと思う反面、誰かに強要される義務としての安楽死は断固拒否したい。
上記のツイートは、まさにそれを的確に表現してくれている。