童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2026年10月1日

アメリカ生活も半年が近くなり、英語がとてもうまくなることもなく、良く聞き取れるようになることもなく、あまり話せず聞き取れない状態に慣れてきてしまっている。
恐ろしいことに、それでも割と生活できてしまう。
責任ある仕事をやろうと思ったらそんなに甘くないとは思うが、ただ日常生活を送るだけなら特に困ったりストレスを感じたりすることはほぼなくなった。
鈍感になったと言っても良いかも知れない。

人間というのは調子よくできているもので、慣れてくると自分も海外で暮らしていけるのではないかという謎の期待が生まれてくる。
一応研究者でちょっと特殊は経験も積んでいるので、その気になれば海外の働き口もあるような気はする。
気になるのは実家に置き去りにしている(なんと結局一度も電話をかけていない)両親のこと。
彼らをちゃんと看取ったら、いよいよ海外を考えても良いか、などとたまに妄想している。

そんな風に思うくらいには、だいぶ日本を相対化して見られるようになった。

率直に言って、今の円安は異常だ。
アメリカで生活していて、物価は基本的に日本の2-3倍、少し贅沢をしようと思えば5倍くらい払うことになる。
これはアメリカに限らない。
先日話した中国の方は、日本で買った方が品物が安いので、何度も日本に足を運んで買い物をしていると言っていた。
中国であれば、飛行機代を考慮してもそうなるだろうことは想像に難くない。
今のままの給料基準で日本で暮らすことは、単純に損だと感じる。

それから、日本の気候は、暮らしていくのにあまり適していない。
夏は暑く、冬は寒い。
最近は台風やそれに関連した豪雨で酷い災害が起きているし、地震もしょっちゅう。
アメリカに来て、ほとんど変わらない天気とまったく有感地震が起こらないことに心底驚いた。
もちろんだからこそ、季節感がより感じられる日本が優れているとも言える。
ただ、季節を選んでたまに長期滞在するくらいがちょうど良いのでは?とも思う。

日本で生まれるカルチャー(漫画やアニメ、映画、ゲームなど)は依然として魅力的だが、きょうびWifiさえあればそういったものにアクセスすることは難しくない。
映画館で日本のものに触れられないのは残念ではあるが、絶対無理なわけではない。
アメリカにも日本の漫画本を売っている本屋はあるし、人気の作品は劇場でも上映される。

食べ物(特に外食)とトイレのことを考えると、やっぱり日本に居たいと思ってしまうのだが、それ以外のことはむしろもっと優れている国があると思う。
将来の選択肢を残すためにも、英語はもっとうまくなっておく必要がありそうだ。

2026年9月26日

別に特別忙しかったわけでもないのに、しばらく日記から遠ざかってしまっていた。
ここのところ、ちょっとマンネリと言うか、米国での生活にも慣れてしまった分、怠惰になってしまっている部分があって良くない。

特にこちらでの仕事が、あまりできていない。
相変わらず実験に顔を出したり研究会に顔を出したりしてインプットはしているけれども、それだけ。
本当は何か貢献できると良いのだが、まだその域に達せていないし、迷惑をかけるのではないかという遠慮がなかなか取れない。
一方で、日本からは色々と雑務が送られてくる。
そちらを言い訳に米国での仕事をセーブし始めたら、まさに本末転倒。
ちょっと意識を戻す必要があるかも知れない。

さて、生活に慣れてきたこともあって、映画館にも何回か遊びに行っている。
先日は「ひつじのショーン かぼちゃ畑の怪物!」を一足先に観てきた。


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「ウォレスとグルミット」や「ひつじのショーン」でお馴染み、アードマンスタジオの最新作。
「ウォレスとグルミット」の「チーズ・ホリデー」「ペンギンに気をつけろ!」の大ファンであるため、折角米国の劇場で観られるなら、ということで出かけてきた。
本当は本場であるイギリスで観たいところだったが、文句は言えまい。

日本公開前ということで内容については伏せるが、非常に良い作品だった。
元々台詞に頼らないシリーズであったこともあって、言語の問題はほぼなかった。
ストーリーも動きだけからしっかりと理解できたし、カットが適切に切られているからミスリードもない。
非常に練られた脚本だと感じた。
そしてそれ以上に、クレイアニメらしい楽しい仕掛けがいっぱいで、とにかくワクワクする。
クレイアニメの老舗スタジオとして、押さえるべきところをしっかりと押さえてくれていた。
大きい画面で観ることにちゃんと価値がある作品だった。

詳細は伏せるが、研究者の視点で観ても楽しめる作品だったことは嬉しい誤算だった。
何かの目標に向けて努力して生み出したものが、意図しない方向で大きな被害を生んでしまうこと。
程度の差こそあれ、多くの研究者が経験していることだろう。
その責任を取らねばならなくなった時に、やはり研究と技術開発でそれをクリアするというところには、不覚にも勇気づけられてしまった。
ちょっと被害が大きすぎて、ちゃんとみんな救われたのか心配ではあるけれども。

2026年9月10日

怒涛のペーパーワーク締切りラッシュを抜けて、少しだけ時間に余裕ができている。
日本から離れていても、ペーパーワークからはなかなか逃れられない。

その中で大分気が重かったのが、とある論文の査読。
しかも、かなり不出来な類の原稿で、やたらと長く、読むだけでもかなりの労力を要した。
内容の新奇性、データの誤差の取り扱いとそれを受けた議論の妥当性、論文の構成、そのすべてに重大な問題ありということで、厳しいコメントを書かざるを得ない状況だった。
だって、誤差の範囲内で一致しているデータについて、本文中では増加傾向があるとか書かれているのだもの…
著者の並びを見る限り、おそらく学生が書いた論文を教員がcorresponding authorになって出しているパターンに見える。
本当にこの指導教員は原稿を読んでいるのだろうか…?
そう疑いたくなってしまう。
errorbarに入ってしまう傾向を議論してはいけないとか、結果と考察の章に解析方法について長々書いてはいけない(Methodの章があるのに!)とか、それを教えることは果たしてレフェリーの仕事だろうか…?

モヤモヤしながらコメントを書いていたのだが、結局そのコメントは日の目を見ることはなかった。
なぜなら、Editorからもうコメントは必要ないという連絡が入ったからだ。
おそらく、もう一人のレフェリーから相当厳しいコメントが入って、Editorもそれを受けてRejectを決めたのだろう。
それにしても、できの悪い論文を読んでコメントを考えた時間は、まるまる無駄になってしまったわけだ。
査読は、研究者のボランティアで支えられている仕組みなので、こうなったからと言って何の補償もない。
ただ、時間が浪費されただけになる。
研究者あるあるとは言え、なかなか辛いものがある。

ただ、自分も同じように思わせてはいけない、という戒めにはなった気がする。
自分でこのレベルの原稿を書くことはないが、例えば共著の論文が投稿されるときに、どれくらいその内容をしっかり読めているだろうか。
筆頭著者として書いている場合と同じようには読めていないし、コメントもできていない。
研究者歴が長くなって忙しくなるほど、その傾向は強まっている気がする。
だから、今回の原稿の筆頭著者になる可能性ではなくむしろ、corresponding authorにならないように気を付けないといけない。
レフェリーからの信頼を損なうような論文の著者リストに、名前を並べないようにしなくては。

2026年8月22日

時折、すごくアクセス数が増えるタイミングが合って何なのだろうと思うのだが、どうも今回は「となりのトトロ」の放送があったことがきっかけのようだ。
トトロの「お父さん」について、研究者視点で書いた記事。
もう10年近く前のことらしい。
いつの間にか「お父さん」よりもはるかに年をくってしまった。

ここ数回、日記でアメリカでの運転免許についてばかり書いていたが、おかげさまで路上試験にも無事に合格した。
試験官からも"good drive"とお褒めの言葉をもらい、大手を振って公道を運転できるようになった。
それもこれも、練習に付き合ってくれた上に、路上試験用の車まで貸してくれた大家さんのおかげである。
英語もおぼつかないおっさんの店子に対して、彼は本当に親切にしてくれる。
大家さんとの出会いが、米国での暮らしやすさを圧倒的に良くしてくれていると日々感じている。

大家と言えば親も同然

まさに、アメリカでの「お父さん」という感じ。
奇しくも実際の僕の父の一つ上の年齢でもあって、何だか最近は特に他人に思えなくなっている。
まだらにぼけ始めた実際の父親と違って、彼はまだ現役で仕事もしていて矍鑠としているが。

ニュースを見ていると、気が滅入ることばかりが目に付く。
アメリカも日本も、ふさわしくない人物がリーダーになっていると思わざるを得ない。
国としてのアメリカのことを考えると、信頼や尊敬の気持ちは日に日に薄らいでいるが、大家さんのおかげでアメリカ人への印象はすこぶる良い。
このバランスもまた、海外で暮らしてこその肌感覚だろう。
「となりのトトロ」は、子どもの頃の不思議な体験をモチーフにした作品ではあるが、そこには地に足を付けた市井の人々の暮らしが圧倒的な解像度で描かれている。
テレビやニュースの向こう側だったこの国にも、善良な人々の誠実な暮らしがある。
その当たり前のことを体験として得られたことは、この時代に正気を保って真っ当に生きていくための財産になると確信している。

2026年8月15日

ついに、アメリカで初めて車の運転をした。
先日筆記試験に合格したため、既に免許保持者同伴であれば運転は公式に許されている。
大家さんにお願いして時間を作ってもらい、彼の車を借りて路上の運転練習をしてきた。

僕の場合、日本に居た頃は通勤で毎日運転していたし、車の操作方法とか交通ルールの基本は元々分かっている。
なので、アメリカの交通ルールとの違いを意識さえすれば、全く運転できないということはないはず、である。
ただ、やはり左側通行と右側通行の違いは大きい。
体にしみ込んだKeep leftの癖はなかなか抜けないのではないか。
運転席も反対になるので、常に自分が道の真ん中側に来るように意識すれば良い、とアドバイスされたが、なかなか一度体に染みついたものを払しょくするのは難しい。
その点は、かなり心配していた。

結果、意外と混乱は少なかった気がする。
最初こそ緊張はしたものの、そもそも他の車がみんな右側通行しているので、わざわざ正面衝突するレーンに入ろうとは思わない。
交差点の右左折の際に少し気を付けるくらいで、左側通行と間違えるような瞬間は、少なくとも今日は訪れなかった。
ただ、運転席が逆のため、ウィンカーの位置だけはやはり混乱した。
どうしても無意識に、ハンドルを持つ右手でウィンカーを探してしまう。
これはしっかりと慣れておかないと、きっと試験の時に指摘されるだろう。

さて、アメリカと日本の交通ルールや常識、右側通行と左側通行以外にも、幾つか違いがある。
例えば、右折(日本で言う左折)のタイミング。
日本の場合、信号が赤の交差点では基本的に左折は許されない。
しかし、アメリカの場合、一時停止して安全を確認できれば、赤でも右折をして構わない。
そして、左折可(日本で言う右折可)の信号のタイミング。
アメリカでも矢印が出るタイプの左折可の信号があるのだが、直進の青信号の前か後かは特に決まっていない。
日本では基本的に後なので、その意識で信号の切り替わりを予測して直進しようとすると、左折可が先に点灯して対抗側からの左折車と衝突することになってしまう。
最初の頃、危うく自転車で何度かそういう目に遭いかけた。
後は、信号が付いていなくて、4方向一時停止の交差点が多いのも面白い。
どの方向から来ても一旦停止が必要で、到着した順に優先権が移っていく。

ただ、日本と比べると、どちらかと言えば理に適っていると思う。
特に鳴動していない踏切で一時停止が必要ないのも(もちろんすぐ止まれるようにスピードは調整すべきだけれども)、良く日本で疑問に思っていたことだった。
また、日本では路上でスピードが遅くても特に違反ではないが、アメリカでは遅すぎても速すぎても違反になる。
事故を防ぐという観点で言えば、合理的なルールに思える。

もう何回か練習をしたら、試験を受けに行こうと思う。
今日は初めての運転で舞い上がって、テストを想定した振る舞いは全く練習できなかった。
巻き込み確認や縦列駐車など、もう少しテストに沿った練習が必要だろう。
典型的なテストコースのYouTubeなどが幾つも上がっているので、それを見てイメトレしつつ、何とか一発で合格したいと目論んでいる。

2026年8月12日

また休みを利用して小旅行に出かけてきた。
アメリカらしいダイナミックな景色に圧倒され、それなりに楽しんで帰ってきた。
が、今回の旅は大きな反省点がある。
やはりこの国において、車を移動手段に使えないことはかなり痛い。

車を所持しないことを決めて以来、これまでUberと公共交通機関のみで乗り切ってきた。
今回の旅も、日本で言うところの高速バスと電車の乗り継ぎで組んでいた。
初日の早朝、発車予定時刻の10分前にバス乗り場まで行ったのだが、バスが来ない。
10分くらい遅れるのは普通だと聞いていたのでそのまま待っていたが、30分待っても来ない。
アプリで乗る予定のバスを調べるとOn timeの表示。
そんな馬鹿なと思うのだが、時間は刻々と進んでおり、次の乗り継ぎ駅でバスを逃すと折角の旅行が全てキャンセルになる。
もちろんバス会社の問い合わせ先に電話したし、乗り場の窓口にも行ったが、どちらも早朝で繋がらず。
どうしようと思った末に、Uberで次の駅まで行くことを決意した。
片道200ドル近くかかるけれども、旅行全キャンセルよりはまし。
その思いで、何とかUberで車を探して出発した。

しかし、Uberも一筋縄ではいかなかった。
少しでも費用を減らそうと乗り合いOKにしたのが良くなかったのだろう。
先に乗っていた乗り合い客が降りた後、長旅になるけどよろしく的な雑談を振ったら運転手の様子が一変。
どうやらその運転主は、片道2時間もかかるような旅程を想定していなかったらしい。
彼は一方的に行程をキャンセル、近くの駅までは送ってくれたが途中で降ろされてしまった。
出発地点から大して離れていない場所で、再びUberを探すことに。
ようやく捕まえた運転手に、自分の目的地がとても離れていることをよくよく確認。
合意を得てようやく長い旅が始まった。
そして、いよいよ目的地が近づいたころ、運転手が何だか焦っている。
訊けば、車のタイヤの空気圧が低下していてアラートが出ていると言う。
急遽付近のガソリンスタンドを調べて案内する。
そんな道草を食いつつも、何とかバス中継地点へ予定時刻前に到着することができた。
次のバスに無事乗れて、旅行先で宿のチェックインを済ませた時は、到着できたことの奇跡に思わず感動してしまった。

ところが、この時一つ問題が起きていた。
僕はこの時、長距離のUberを2回依頼したわけなのだが、なぜか1回目のUberがキャンセル扱いになっていなかった。
どうやら、乗り合い客を先に降ろすところまでは利用していたため、支払いが実行されてしまったらしい。
3万近い移動費が2回も行われている…
当然承服できないので、Uberにクレームを入れる。
いかにもAIらしいチャットで通り一遍の回答がされ、返金できないという対応ばかりが返ってくる。
それでも食い下がって説明を続け、ようやく旅行後半になって全額返金の連絡が。
この瞬間、気分がぱっと晴れて、本当に心の底から旅行を楽しめるようになった気がする。
ちなみに最初のバスがなぜ来なかったのかは、いまだ理由が分かっていない。

こんな煩わしい経験も、レンタカーで自分で行っていればしないで済んだはずだった。
現地でも、車があればもっと行動範囲が拡げられたはずだった。
今回の旅の結論は、やはりこの国では免許は持っておいた方が良い!
早速今週の月曜にDMVに行って、とりあえず筆記試験には受かってきた。
大家さんが練習に付き合ってくれると言ってくれているので、いよいよアメリカでの運転に挑戦し、遅くとも今月中には免許を手に入れたいと思っている。

小さな世界

先日行ってきた米国の国立公園を巡る旅、主要都市のひとつであるラスベガス発の小規模バスツアーということで、参加者は世界各地から集まった多種多様なメンバーだった。
スコットランドからの夫婦、イタリアからのカップル、フランスからの親子4人、ソロ参加は自分を含めてイタリアからのご婦人とオランダ人の若い男性とトルコ人の若い女性、総勢12名。
多少の偏りはあるものの、まさに小さな世界の縮図を経験した気持だった。
良い部分ももちろんあったけれども、このブログにはむしろ、そこで感じたモヤモヤを言語化しておこうと思う。
ディズニーのIt's a small world的な、世界は一つみたいなことよりもむしろ、分かり合うのはとても大変なのだということを感じたからだ。

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