童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2025年5月10日

少し前に青春ゾンビさんのエントリーを読んで興味を持った「0.5の男」を観終えた。


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元々はWOWOWで撮られたドラマだったが、Netflixなど他のサブスクにも展開されていて、今は広く楽しめるようになっている。
松田龍平氏が40歳の引きこもり男を演じる本作。
暮らしている実家が、妹一家を入れた2.5世帯住宅に建て替えるという一大事に翻弄されていく姿を描いている。
両親、妹家族、そして0.5の引きこもり男…というわけである。

本作の主人公は、特に暴れたりしない。
そういう「引きこもり」の記号的なアクションはイベントは、全て済んだ後の世界になっている。
夜中までネットゲームをしていて日中寝てばかりいても両親は怒らないし、むしろ彼のためにご飯を準備してくれる。
深夜のコンビニでは、絶対覚えているだろうに干渉してこない優しい店員が応対してくれる。
でも、どうやらかつては大変だったらしいことが何となく透けて見えてくる。
壁に貼られた付箋たち、お父さんの腰痛、緊張で著しく劣化するプレイスキル。
ばら撒かれたそれらのピースが少しずつはまっていって、2.5世帯に辿り着く来し方を浮かび上がらせる。
一見ほのぼのしたホームドラマに見せかけて、かなり緻密に練り上げられたストーリーになっている。

それにしても、子役たちの演技が素晴らしい。
特に、主人公の甥っ子。
とても演技しているように見えない。
居眠りをする主人公の前でバグレンジャーのダンスを無邪気に踊る彼の姿を収めたあのワンシーンだけでも、本作の製作陣がとんでもないスキルを持っていることが分かる。
そして、本作の最重要場面である2.5世帯住宅のセット。
まさに金をかけるべきところに金がかかっている。
繰り返し登場するあのセットは、ドラマと舞台の中間のような、シチュエーションコメディにも似た気持ち良さがある。

監督を務めた沖田修一氏は、「子供はわかってあげない」とか「さかなのこ」を撮った人。
実は知らずに観始めたのだが、後から知って酷く納得した。
「さかなのこ」の監督だったら、そりゃあ好きになるし、子ども撮るのも上手いよ、と。
通常のテレビドラマと制作スタイルが違うせいか、映画畑の監督しての良さが存分に発揮されている。
特に、時間の使い方。
セリフに頼らず、動きや表情の変化で意図を伝えるタップリとした間。
連続ドラマではあれども、鑑賞中は気が抜けなかった。
それでも、1話1時間もないのでちょうど良い長さに仕上がっている。

2025年5月7日

昨日は連休最終日。
だけれども、性懲りも無くまた映画館に行ってきた。
少し前から友人たちに強く勧められていた「トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦」を観るために。


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友人たちはやはり僕の好みを良く理解してくれている。
もっと前に、観に行っておけば良かった。
そうしたら、毎週のように劇場に通って観られたというのに。

王道ストーリーは、やっぱり良い。
美味しい街の定食屋さんで、何の裏切りもない完璧な食事をしてきたような満足感。
熱いバトル、友情、師弟愛、悲しい過去、過酷な運命…
全部知っている味だけれども、とにかくカッコよくて、何も考えずに映画を楽しむ気持ちを思い出させてくれるような快作だった。

本作が、それだけに留まらないと思うのが、作品の根幹にあるテーマに「憎しみの連鎖をどうやって断ち切るか?」があるところ。
大昔から人類が抱えてきた問題だけれども、ウクライナパレスチナが泥沼化し、日本近辺もどんどんときな臭くなっている今、非常に時勢に乗ったものと言える。
本作が世界中でヒットしているのも自然なことだろう。
放つメッセージも至極真っ当でかつシンプル。
古いしがらみは古い世代で終わらせて、若い者が新しい時代を作っていく。
過去の反省として事実を記憶しておくことは大事だけれども、それに囚われて代理戦争を続けることに意味はない。
そろそろ若者世代とは言えなくなってきた自分も、次の世代になるべく綺麗な状態で手渡せるように努力する責任がある。
スカッと爽快な作品でありつつ、襟を正さなければと思わさせられる、そんな含みも持った内容になっている。

僕に最初に本作を勧めてくれたのは、インド映画フリークの友人だったのだが、観終わってみてインド映画からの流れに深い納得感があった。
とにかくキャラクターを、アクションを、絵をカッコよく。
多少無理な設定や物理法則に反した動きも、カッコよければOK!
日本がアニメーションで得意なことを、インドも香港も生身でやってのけている。
そう言えば、また「RRR」の再上映も始まるらしい。
「トワイライト・ウォリアーズ」の2回目に行くか、それとも久々の「RRR」(n回目)に行くか、今から悩ましい。
どちらも行ってそうで恐ろしい。

2025年5月5日

昨夜、映画を1本観てきた。


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少し前に観た「ファーストキス」に続いて、また坂元裕二脚本である。
「花束みたいな恋をした」のヒットがあったからか、最近は映画の脚本を精力的に書かれているような気がする。
「怪物」はとても素晴らしかったし、映画が好きな人間の一人として、やはり嬉しい。
倫理的な部分での引っ掛かりはまずないし、何より物語として面白いものになっているだろうという信頼がある。

少し前、坂元裕二氏が、NHKのスイッチインタビューに出演していた。
「君の名は」以降、すっかり日本アニメ界の中心人物となった新海誠監督との対談。
これ自体かなり見応えのあるものだったのだが、昨夜観た「片思い世界」もその対談の中で紹介された。
そして、この物語の根幹となるネタバレを喰らってしまった。
割と序盤に明かされる秘密なので、まあ確かに良かったのかも知れないが、やっぱりそれは知らずに観た方が良かったと思っている。
最初から散りばめられている違和感を、もう少し臨場感持って楽しみたかった。

そんな勝手な残念ポイントがありつつも、作品全体はとても楽しめるものだった。
「大豆田とわ子と3人の元夫」で提示された坂元氏の死生観が、ある種のジャンル映画の力を借りて、そのまま映像化されたように感じている。

人は死ぬと一体どうなるのか?
生きている限り解けない、人類共通の永久のテーマである。
生と死は重なっていて、互いに干渉できないだけでいつもそこにある。
死ぬことは"かわいそう"じゃないし、死んでからだって"幸せ"になれる。
こうして書くと、何だか遺された者たちのそう思いたい願望のように映るけれど、でも生きている者の意識の中にだけ死者が存在するのなら、それは本当にそうなのだ。
つまり、我ら生きている人間が納得さえすれば、いつだって彼らは当時の姿になるし、成長して未来の姿にもなれる。
でも実際には、死が悲惨であればあるほど、彼らの時は止まって遺された者たちの胸に呪いのように刺さってしまう。

本作で主人公たちは、ある意味何もなさないし、何も変わらない。
しかし、彼ら以外の彼らの大切な人々の変化を目の当たりにする。
ジャンル映画のある種ずるい仕掛けの中で、一線を超えなかったところがとても良かった。
生と死はやはり交わらないのだ、というリアルが守られている。
冷たく悲しい事実だけれども、甘やかさないでくれたところに坂元裕二の優しさを感じた。

そう言えば、「ファーストキス」も、タイムスリップというジャンル映画の一つだったわけで、どうやら坂元さんは、映画脚本が増えてきたのでジャンルという"枠"の中で何ができるか実験中らしい。
次辺りは、もしかしたらゾンビ映画とかサメ映画とか来るかも知れない。
坂元裕二脚本のサメ映画…ちょっと面白そうだ。

Mine or Yours

またしてもこの世に、名曲が放たれた。
宇多田ヒカル「Mine or Yours」。
今までも、宇多田氏の作品を手紙のように思って受け取ってきたけれど、今回は特に沁み渡るような感動があった。
余りにも素晴らしい詩だったので、新鮮な内に感想を残しておこうと思う。


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2025年4月30日

風邪は長引いているが、何とか仕事と私生活両方のイベントをこなしてきている。
喉をやられて声が出なくなってしまっても、会議やら打ち合わせやら見学の対応やら、とにかく喋る機会が多くていまだに咳をしている。
世間はGWに入っていると言うのに、あまり気分は明るくない。

風邪だ何だと言っている中で、録画用HDD内の未視聴番組の消化を進めていた。
少し前に録画したNHKの「天然素材NHK」のお達者伝説回が、なかなか良かった。

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塩沢ときさんの扮装を見せつけるご婦人や、強烈な個性を光らせる老人の主張も素晴らしかったのだが、何と言っても五郎んつぁが全てを掻っ攫っていった回だった。

五郎んつぁは、会津地方でかつて活躍していた万歳師で、御年90歳の福の神とだと言う。
何を言っているか分からないと思うが、自分だって何を書いているのか良く分かっていない。
とにかくこの方は、特徴的な烏帽子姿でどこからともなく自転車に乗って現れて、目に留まった家にお邪魔しては独特な節回しの祝詞を唱えていく。
表情があるのかないのか分からない老人が、颯爽と自転車で駆けていくだけで既に異様。
ごく普通の家庭で明らかに普通ではない装束の老人が、ひたすらに不思議な呪文を唱えている。
それを見つめる驚きと困惑で固まった子ども達の表情が忘れられない。

五郎んつぁは一体どこで生まれ、どうやって万歳師になり、どれほどの間続けているのか。
後継者はいないのか、それとも後に残すつもりはないのか、そもそも誰かから継いだものなのか。
短いコーナーだけでは全く分からない。
ことによると、彼は本当に福の神だと言う可能性すらある。
元になっているドキュメンタリー、是非とも再放送して欲しい。

2025年4月23日

案の定、体調を崩して昨日は仕事を休んだ。
咽頭痛、発熱、鼻水&痰…と言うことで少し警戒したけれど、咳は全く出ず。
一応夕方に発熱外来を受診して検査も受けたが、新型コロナもインフルエンザも両方陰性。
そうこうしている内に熱が下がっていった。

実は今、別に自分のせいと言うわけではないのだが、仕事のとある案件が頭の痛い事態に陥っている。
困ったことになっているのは間違いないのだが、何かできるわけでもなく、今はまだ待つことしかできない。
もしかして、そのストレスが体調に…?と同僚から慰められた。
自分ではそれほどのストレスを感じているつもりはなかったが、確かにそういう部分もあるのかも知れない。

病は気からじゃないけれど、精神面が肉体面に作用すると言うことは、何だか不思議な感じがする。
そもそも精神と肉体を二項対立的に捉えていること自体に問題があるのだろうが、なかなかその思考からは抜け出せない。
だって通常、我々は自分の意思で体を動かせていると思いこんでいるのだから。
精神と肉体は別に分かれていて、精神から意思を持って肉体を操作している気になっている。
でも良く考えてみれば、心臓を動かしたり消化したり、我々の体の中では自動で行われていることが山程ある。
そいつらは、意思と関係なく精神面が反映される。
好みの相手が現れると心拍数が上がったり、緊張すると消化器官が機能低下したりする。
逆に、肉体の方が、精神に影響してくることだってある。
歯が痛いと気分が乗らないし、お腹が空くとイライラしたりする。
自律的に動いている肉体の機能は、意思を介在しない分、我々の精神とダイレクトに繋がっている相互に干渉し合っている。

だから、ストレスを感じて体調を崩すことだってあるだろう。
それでも、何だか恥ずかしく感じてしまう。
むしろ体調をしっかりと整えることで、ストレスも管理できるようでありたい。
そんな風に思うこと自体、とても烏滸がましいことなのかも知れないが。

2025年4月21日

昨日、長かった推しのツアーが千秋楽を迎えた。

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全国11カ所23公演。
結局行けなかったのは徳島2daysと大阪2daysで、福井と宮城、北海道は1dayのみ参戦。
残りの16公演は全て参戦した。
やり過ぎな気もするが、後悔はない。
それくらいに、今回のツアーも楽しかった。

地方に遠征すると、土地土地で行ってみたかったところについでに行けることがとても楽しい。
佐賀で行った吉野ヶ里遺跡、静岡で行った掛川花鳥園、福井で行った恐竜博物館、名古屋で行った名古屋港水族館
どれもこのツアーに参戦しなければ、多分行かなかったと思う。
毎週のように一人旅に行ける生活というのも、なかなか贅沢で乙なものだった。

その反動なのか燃え尽きたからなのか、どうも体調が思わしくない。
喉が痛くて痰が出る。
新型コロナも再び流行していると聞くし、まずいかも知れない。
仕事的には、本当は遊び歩くような余裕はない状況なので、ちょっと無責任だったと反省している。
昨日ツアーの後にちょっと飲みたい気持ちになって一人で居酒屋に入ったのも良くなかった。
居合わせたインバウンド団体客の騒々しさにやられてさっさと出てきたはずだったのだけど、最後のダメ押しだったのかも知れない。
飲み屋からの帰り道も、コンビニで買ったアイスを齧りながらもうカエルが鳴き始めたなあなんてご機嫌だったと言うのに。
大人しく風邪を治し、働いて穴を埋めるしかない。
とりあえず、発熱したりしないことを願うばかりだ。