童貞見聞録

アラサーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

ファンタジーのリアリズム

研究は、客観的事実を積み重ねて物事に潜む普遍性を見出していく作業である。
そうした作業の中での発見は、論文という形でまとめられ、他の研究者に伝えられていく。
従って、論文においては、如何に論理的で、かつ、その論理が明快であるかが重要視される。
普段、仕事場でそうしたノンフィクションを読んだり書いたりしているせいか、プライベートではむしろフィクションばかりを好んで読んでいる。
フィクションの自由な記述とアプローチは、息苦しさがなくて心地良い。

ファンタジーは、世界観の構築から始まって、キャラクター設定・ストーリー展開に至るまで、全てがフィクションである。
最も現実から遠いジャンルであると言えるが、その実、描かれているテーマは極めて現実的であったりする。
入れ物を敢えて現実と離れたものにすることで、むしろ筆者が描きたい人間の特質や社会への考察が絞られて明確になる。
特定の切り口から世界を記述する、という点では、論文と共通している。
ファンタジーを楽しむ自分と仕事の時の自分、スタンスとしては余り大差ないのかも知れない。

というわけで、僕としては、単に設定の面白さだけでなく、その先にあるリアリズムまで踏み込んだ作品が好ましい。
多くのファンタジーが発表されている中で、最近特に気に入っている2作品についてまとめる。

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タダより高い物はない

第1シーズンに引き続き、「ねほりんぱほりん」を楽しみに観ている。
元々「ねほりんはほりん」という特別番組からスタート、満を持してレギュラー化された第1シーズンでは、放送時に必ずTwitterのトレンドワードに挙がるほど話題を集めていた。
所謂、覆面インタビュー番組なのだが、顔出しできないことを逆手にとって、人形劇と組み合わせたという大変画期的な番組である。
ゲストも「ハイスぺ婚女子」や「ナンパ教室に通う男」など、際どいところを攻めていて、なおかつ素晴らしい人材を拾ってきている。
インタビュアーである山里亮太さんとYOUさんが、ちゃんと危ないゲストも受け入れて視聴者が食べられるように料理してくれるので、安心して観ていられる。
毎週笑ったり泣いたりしながら、終わった後は不思議と寛容さが身に付いて人に優しくなれるという、まさにEテレに相応しい教育番組になっている。

www4.nhk.or.jp

さて、そんな「ねほりんぱほりん」で、先日「パパ活女子」の回が放送された。
いつものように面白かったのだけれども、この回を観ていて、僕は言い知れぬ恐怖感に襲われた。
テレビを観ていてここまで怖いと思ったことはなかなかなかったので、番組の紹介がてら記事にまとめておこうと思う。

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煙草×映画

最近またタバコ税が話題になっている。
僕自身は愛煙家ではないし、喫煙をしたことすらない。
ただ、分煙はきちんとした方が良いと考える一方で、昨今の喫煙者に対する過剰なバッシングは少しやり過ぎではないかと感じている。

かつて僕が学生だった頃、居室のあった建物の一階フロア(外)に喫煙スペースが設けられていた。
暑かろうが寒かろうが、喫煙者はその場所に行って吸っていたのだが、ある日、そのスペースが変更になった。
何でも、一階で吸っている煙が上の階まで登ってくるから迷惑だ、ということらしい(冷暖房が完備された建物内で窓を開け続けている人がいたことに驚いたが)。
それからは、喫煙スペースが屋上に設けられ、屋上の入り口を事前登録したICカードで開錠しなければ吸えなくなってしまった。
ところが、これでも終わらず、今度は喫煙を終えた彼らがエレベーターで降りてくるため、直後のエレベーターが煙いという苦情が入ったのだ。
しばらくエレベーター内に空気の汚染度を測るマーカーのようなものが設置されていて、何て馬鹿げたことに金を使っているのだろうと思ったものである。
それ以降はどうなったのか確認していないが、きっと碌なことにはなっていないだろう。
確かに煙草の場合は、副流煙による健康被害などがあるために難しいのは理解するが、ここまで喫煙者を追い込む必要があるのか、と疑問を持ってしまう。

僕が、愛煙家でもないのに喫煙者の肩を持つのには理由がある。
映画における煙草の表現が大好きなのだ。
極端なことを言うようだが、煙草の表現が良い映画に外れなし、位に考えている。
今回は、「喫煙する権利」を守るための世間に対するアピールの一つとして、映画内における煙草の魅力をまとめておこうと思う。

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ドリーム

しばらく振りに映画を観に行ってきた。
前評判の通り、ちょっと文句の付けようもない快作だったので、僕も自分なりに感想をまとめておこうと思う。


映画『ドリーム』予告A

「ドリーム」(原題「Hidden Figures」)は、NASAマーキュリー計画の成功の裏で偏見や差別と闘いながら活躍した3人の黒人女性たちを描いた作品である。
邦題は最初、「ドリーム 私たちのアポロ計画」であったところを「マーキュリー計画を描いているのに何故?」という批判の声を受けて変更された、という経緯がある。
それにしても、原題の良さが全く反映されず、何ともぼんやりとしたタイトルになってしまって残念だ。

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性的指向について③

また記事の更新が遅くなっている。
ここしばらくは若手研究者らしく就職活動で忙しかった。
やっとそちらが落ち着いたので、またこうして筆を執っている。
研究者業界の就職活動についても、いつか機会をみて記事をまとめておこうと思う。

さて、今回は忙しい期間に入る前に書いておこうと思っていた話題を消化しておきたいと考えている。
このブログのテーマでもある自らの性的指向に関する件だ。
これまで2つの記事を書いていて、今回はその続きとなる。

tamago-polo.hatenablog.com

tamago-polo.hatenablog.com

前回、自らの性的指向をはっきりさせるために実験をしている、という内容の記事を書いた。
簡単に言えば、オナ禁をしたら自分でも所在が良く分からなくなった性欲があぶり出されてくるのではないか、というものだった。
前回の記事の時点では高々一か月程度で、ほとんど何の兆候も見られなかった、という報告だった。

あれから8か月余り経ち、どんなことがあったかと言うと、実は4か月ほど経ったところで、産まれて初めて夢精をした。
ちょっと、というかかなり恥ずかしいのだが、今回はそのことをまとめておこうと思う。

 

夢精を起こすまでの間は、特に悶々とするわけでもなく、極めて順調に平静に暮らせていたと思う。
もはや自分には一片の性欲も残されてはいないのか、と不安になるくらいだった。
その頃に前立腺がんの危険性なんてのも記事で読んだりして、この実験は割と危険なんじゃないかとか思ったりしていた。

驚くことに、夢精を起こしたのは実家に帰っていた時だった。
これには特に理由はないと思うが、もしかしたら「家庭」を求める気持ちみたいなものが働いたのかも知れない。
とにかく、朝方、夢と現実の間を行ったり来たりしていたところで、突然それは起きた。
これが人生初めての夢精だった。
実は、僕の小学校はそこそこ性教育がちゃんとしていて、精通よりも前の段階で自慰行為を知識として知っていた。
それもあって、良く聴く話のように、夢精によって精通ということがなかったのだ。

最初に思ったことは、不謹慎ながら「面白い」だった。
ある意味でそのために続けていた実験でもあったので、それがうまくいったという充実感。
30過ぎて初の夢精という事実の滑稽さ。
追いかけるようにして恥ずかしさがこみ上げてきた。
一体、僕は何をしているのだろう。
流石にこの歳で汚れた下着を親に洗ってもらうのは忍びなかったので、厳重に封印した上で自宅に持って帰り、すぐに洗濯機を回した。

 

さて、肝心のその瞬間に見ていた夢であるが、はっきりと覚えている。

黒人の男女がアクロバティックに交わっている様子だった。
両者とも、まさに健康的と呼ぶべき見事なプロポーションだった。
そして、やはり僕はそこにいなかった。

フロイトに詳しいわけではないけれども、自分なりに解釈してみると、おそらく僕の中には強烈な「健康体への憧れ」があるのだと思う。
裏を返せば、僕は、自分のことを「不健康である」と思っているということになる。
それはそうかも知れない。
今はかなり痩せているけれども、大学生頃まではずっと太り気味だったし、運動はとにかく苦手だった。
そして何より、自分の性的指向に疑問を持った時からずっと、「健康」というか「健常」ではないという意識が拭えなかった。
だから、当たり前に性欲が旺盛で、何の疑問も持たずにセックスを楽しむ健康的な男女が羨ましくて堪らないのだ。

実験を続けて顕わになったのが、暗いコンプレックスの存在だったというのは皮肉なものである。
このコンプレックスが、僕の中の微かな性欲を支えていると考えると、無性愛的であることも納得できる。
あの「夢」に僕がいないことこそが、興奮の源なのだから。

こうしたコンプレックス(「健常」ではないという意識とか)は、捉え方によっては被差別意識とも言えるし、差別を助長する考え方として非難されるかもしれない。
しかし、無意識下のところにまで沁みついてしまったこの感覚を拭い去ることは、かなり難しいように思う。
あるいは、自分が「夢」で見た健康的な男性に近づいていったらどうだろうか。
次に行うべき実験はそれかも知れないが、きっとそれは、どこまで行っても自分を「彼」に重ねることはないだろうという予感がある。
それは「彼女」の方も同様で、だからこそ、「彼ら」は黒人だったのだろうと思うのだ。

 

当初考えていたよりも、自分の抱えるものの根が深いことが分かってきた。
ただ、実は、治したいかと言うとそうでもないので、特に悲壮感はない。
性欲を感じないで生きる人生も、別に不幸ではない。
今は特に実験を継続しているわけではないが、好奇心に任せて、機会があればまた何か考えてみようと思う。

一人っ子の憂鬱と自由

ブログを始めてから一年以上が経ったが、今のところ何とか続いている。
自分で書くのももちろん楽しいけれども、それ以上に他の皆さんのブログが面白くて、購読ブログの新着情報を開くのが日課になっている。
「〇〇の方法」とか「××してみた」とかは個人的にあまり好みではなくて、様々な思いを抱えた著者が内面を吐露するようなものが好きだ。
皆さん文章も上手いし色々な体験をされていて、こんな風に書くとおこがましいのだけれど、ああ一人ではなかった、と安心する部分があるからかもしれない。

その中でも、ゲイとして生きる君へは、特に興味深く読ませてもらっているブログの一つだ。
著者である神原さんの同性愛者としての体験が、かなり赤裸々に綴られている。
自分もセクシャルマイノリティの一人だと勝手に思っているので、自分との共通点や相違点が顕わに感じられるのが、自己分析という意味でも大変ありがたかった。
文体は押しつけがましいところがなくて、その一方でユーモアやスリルもあったり、飽きがこない工夫がされているのを感じる。
文章でしか存じ上げないけれども、おそらく非常に気遣いのマメな方だろうというのが伝わってきて、勝手に好感を持ってしまっている。

さて、そのブログで、最近こんな記事が載せられた。

mituteru66.hatenablog.comお兄さんへの想いが綴られる中で、「兄貴がいなければって思う時がある」という部分を読んだときに、僕は衝撃を受けた。
言及記事なんてほとんど書いたことなかったけれども、ブログの紹介ついでに、その衝撃の理由を少しまとめておこうと思う。

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星野源はウナギになった

昨夜、おげんさん(星野源)がゲストのSONGSを観ていた。

www6.nhk.or.jpおげんさんとは、5月に一回だけ放送された生放送番組「おげんさんといっしょ」のキャラクターで、星野さんの新曲「Family Song」のMVにも登場する素敵なお母さんだ。


星野 源 - Family Song 【MUSIC VIDEO & 特典DVD予告編】

ただ、メイクのせいなのか、久しぶりに観たおげんさんはやけに疲れて見えて、以前見た姿より10歳くらい老けていた。
もちろん番組そのものは大変面白かったのだけれども、段々と謎の不安感に襲われてきて、素直に楽しめなくなっていることに気が付いた。
これは一体どういうことなのか。
そのことについて考えてみた。

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