童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

トラウマの変遷 ~ロベルタとヴァイオレット~

相変わらず出かけられない。
そもそも梅雨時で、出かけようにも億劫な天気が続いていた。
少し前に友人からBBQのお誘いがあったが、それも結局雨でリモートランチ会に変わってしまった。
というわけで、在宅勤務も開けて通常通り職場に通うようにはなったものの、結局Netflixに依存した毎日を送っている。

さて、1カ月ほど前に、かねてから友人たちに薦められていたBLACK LAGOONを観終えた。
非常に自分好みで楽しく鑑賞したのだが、特にブログに書こうなどとは思っていなかった。
ところが、つい最近京都アニメーションの事件を回顧する番組を観ていた時、BLACK LAGOONヴァイオレット・エヴァーガーデンは、共通したテーマを持っているなとふと思った。
どちらも、過去にトラウマを抱いてしまった、あるいは非人道的な行為に手を染めて人間性を失ってしまった人間たちの"その後"を描いた作品である。
その描き方が対照的なだけに、ちょっとその視点でまとめてみようかと考えたのだ。

BLACK LAGOONは、2006年に放送されたアニメ作品で、架空の犯罪都市ロワナプラで運び屋を営むラグーン商会をメインとしたクライムアクションである。

The Black Lagoon

本作の主役の一人であるレヴィについて書いても良いと思ったが、折角ヴァイオレットに合わせて書くなら、ということでゲストキャラであるロベルタを紹介することにする。
(ちなみに上記の絵は、実は最も底知れない闇を抱えていそうな曲者主人公のロック)

ロベルタは、第8-10話と第3期に登場する一見メイドのいで立ちをした恐ろしいキャラクターである。
中南米の名家の一つラブレス家のメイド長であり、誘拐されてしまった幼き次期当主ガルシア奪還のため単身ロワナプラへ乗り込んでくる。
この目立つ格好のままとんでもない戦闘力を見せて他を圧倒。
ガルシアの運び屋を請け負っていたラグーン商会とも死闘を繰り広げる。
彼女の正体は、キューバで暗殺訓練を施された元ゲリラ兵で「フローレンシアの猟犬」の異名を持つ国際指名手配犯である。
その異名の通り、第3期で登場した彼女は、ラブレス家当主の暗殺作戦に関わった人間たちにしつこく食らいつき復讐を遂げようとする。

BLACK LAGOON ロベルタ (1/6スケールコールドキャスト完成品)

彼女はかつてゲリラ兵として数々のテロ行為に関わっており、おそらく何百何千の人間たちを殺めてきている。
しかし、ラブレス家に匿われてメイドに就いてからは、ガルシア達親子との交流の中で初めて平穏で安らかな毎日を送ってきた。
その暮らしの中で、ラブレス家への感謝と忠誠心が深くする一方で、フラッシュバックや亡霊に悩まされている。
そして、再びロワナプラという戦場に立った彼女は、かつての「猟犬」としての自分と向き合わざるをえなくなり、徐々に精神が蝕まれていく。

 

一方。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、ご存知、京都アニメーションが2018年に発表した作品で、今年9月に劇場版の上映も予定される人気作である。

ヴァイオレット・エヴァーガーデン1 [Blu-ray]

主人公ヴァイオレットは、元々女子少年兵として従軍し、大戦中は驚異的な戦闘力で活躍したと言われる少女だ。
戦後、後見人となったクラウディアの下、手紙の代筆を行う自動手記人形の仕事を始めるところから物語はスタートする。
少年兵として育てられたため感情を失くしたように見える彼女が、人々の手紙に込める想いに触れることで、徐々に人間性を回復していく様が描かれる。

 

温度も色遣いもタッチも全く異なる2作品であるが、通底するテーマを感じる。
両者とも、かつて戦火の中で壮絶な経験と罪を背負った人物であり、ある種のトラウマに苦しめられている。

とは言え、その視点で二人の人物を考えてみても、やはりその描かれ方は対照的に映る。
一方では、争いに身を投じる中でアイデンティティを感じてしまう痛ましい様が、もう一方では、穏やかで暖かな交流の中で感情を取り戻していく様が描かれているのだ。
この違いはどこから生まれるのか、ということを考えてみて、それは「罪の意識」ではないかと思う。
ロベルタは、当初から自らの罪について自覚的である。
だからこそ、亡霊の存在に苦しめられているし、自分が平穏なラブレス家にいることを負い目に感じている。
一方のヴァイオレットは、そもそも自らの行いを罪とは考えていない。
何故なら、命令に従っていただけだからだ。
ところが、ヴァイオレットもまた、物語の進行とともに自我が芽生え、感情を理解するようになるにつれて、やはり罪を感じ始める。

トラウマは、自らの行いを認識し、自覚的になるところから始まる。
ヴァイオレットはその発達段階であり、ロベルタは飽和段階にある。
その意味で、ロベルタは、ヴァイオレットの未来の姿と言える。

もう、誰も死なせたくはないのです。

ヴァイオレットは、後半、もう一度巻き込まれた争いの中で叫ぶが、そう思えば思う程、彼女の過去の罪は膨らんでいく。
この先、彼女は何度も過去の出来事がよぎり、そのたびに苦しむことになるはずだ。


ロベルタは、壮絶な戦いと多大な犠牲の果てに、一応の救いを得る。
かつて彼女に平穏をもたらした幼き当主ガルシアが、彼女の闇を全て目の当たりにした上で、文字通り満身創痍の中でも、共に生きていくことを決意したためだ。
トラウマから人を救うためには、同じ場所まで潜って、それでも諦めずに引き上げなければならない。
払う代償は大きい。
そして、それもまた、完全な救いとは言い難い。
ガルシアの身に何かが起きれば、また元の木阿弥であろう。

翻ってヴァイオレットの場合、彼女に感情を最初に吹き込んだギルベルトは既に故人となっている。
ロベルタにとってのガルシアのような人物が、果たして現れるのか。
少なくとも現時点で、彼女の抱えるものを支えられるだけのキャラクターは彼女の周りに存在しない。
一応の終わりを迎えたわけで、トラウマを掘り下げたエピソードが今後追加されていくとは考えにくいけれども。