童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

希望のかなた

11月前半からずっと実験が続いていて、なかなか映画館に行くこともできないでいたのだが、先週の日曜日に何とか渋谷のユーロスペースに滑り込んだ。
大好きな映画作家の一人であるアキ・カウリスマキ監督の新作が公開中なのだ。
大学生の頃に、やはりユーロスペースで出会って以来、このフィンランドの巨匠の映画の世界に惚れ込んで、新作はもちろん、旧作のリバイバルもなるべく足を運んで追いかけている。
ちなみに、まだお金がなかった大学院生の頃に、彼の作品のBlu-rayボックスを(プレーヤーがないにもかかわらず)無理して買ったのだが、あれは未だに良い買い物だったと思っている。

前作「ル・アーヴルの靴みがき」から5年、待望の新作公開だった。
監督自身が難民3部作の2作目と称した本作は、シリア難民のカーリドを主軸に物語が展開される。


映画『希望のかなた』予告編

kibou-film.com

 

作品を観て最初に感じたのは、監督の激しい怒りだった。

カウリスマキ作品では、基本的に台詞は最小限に抑えられ、登場人物のキャラクターや振る舞いの意図などは推して知るべし、といった感が強い。
ところが、本作では、主人公の境遇を全て本人に語らせている上に、身に降りかかる出来事をかなり具体的に描いている。
おそらく、カウリスマキ監督は、昨今の難民を取り巻く状況や極右勢力の台頭を見ていて我慢ならなくなったのだろう。
自分の作家性みたいなものを犠牲にしても、作品に込めたメッセージの分かりやすさを優先させたような気がしてならない。

パンフレットをめくると、本作は、彼自身の言葉で「ある種の傾向映画」と称されている。
傾向映画とは、左翼思想的なプロレタリア映画を指す言葉だ。
元々、一貫して市井の貧しい人々にスポットを当てた作品を撮り続けた監督ではあるのだが、ここまではっきりと立場を明確に描いた作品は珍しい。

 

とは言え、カウリスマキ作品らしい部分も、勿論多くある。

例えば、冒頭のシーン。
本作の主人公の一人であるヴィクストロムが部屋を出ていく様子が映される。
彼は無表情で荷物をまとめていて、家を出ようとしている。
そして、サボテンの鉢の載ったテーブルで酒を飲みながら煙草を吸う女性のところへ寄り、指輪を置いて立ち去る。
この間、一言のセリフもないのだが、たったこれだけで夫婦の別れを完璧に表現している。

また、個人的に最も感動したのは、アレッポから命からがら逃げてきたカーリドが、施設でイラク出身のマズダックと出会うシーンだ。
互いの出身を尋ね、煙草を分け合う。
そこには、鼻持ちならないラベリングやレッテルは存在しない。
お互いの不幸を嘆き、お互いの故郷を認め、お互いに遠い地で強く生きていくことを誓っている。
以前の記事で、煙草は弱さの象徴であると表現したけれども、煙草を分け合うのはまさに弱さの共有だと思う。
そして、逃げてきたことに対する罪と罰を分け合う行為でもあり、ある種の共犯関係の芽生えとも言えるだろう。
二言三言の単純な台詞と動作だけで、そこまでが伝わってくるかのようだった。
 

彼の作品群の中では特異であると書いたけれども、その反面、入門編としては最適かも知れない、と感じた。
良く言えば、癖がなくて見やすい作品だし、他の社会派作品に比べて政治色がとりわけ顕著なわけでもない。
カウリスマキ作品らしいユーモラスな部分もかえって鮮やかになり、映画自体をあまり観ない人にも薦めたくなるような娯楽性の高い一本に仕上がっている。
公開規模は決して広くないが、なるべく多くの人に観てもらいたいと願うのと同時に、ファンとしては、これを機会に「レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ」辺りのコメディ作品がまた名画座にかかることを期待してしまう。