童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

ファンタジーのリアリズム

研究は、客観的事実を積み重ねて物事に潜む普遍性を見出していく作業である。
そうした作業の中での発見は、論文という形でまとめられ、他の研究者に伝えられていく。
従って、論文においては、如何に論理的で、かつ、その論理が明快であるかが重要視される。
普段、仕事場でそうしたノンフィクションを読んだり書いたりしているせいか、プライベートではむしろフィクションばかりを好んで読んでいる。
フィクションの自由な記述とアプローチは、息苦しさがなくて心地良い。

ファンタジーは、世界観の構築から始まって、キャラクター設定・ストーリー展開に至るまで、全てがフィクションである。
最も現実から遠いジャンルであると言えるが、その実、描かれているテーマは極めて現実的であったりする。
入れ物を敢えて現実と離れたものにすることで、むしろ筆者が描きたい人間の特質や社会への考察が絞られて明確になる。
特定の切り口から世界を記述する、という点では、論文と共通している。
ファンタジーを楽しむ自分と仕事の時の自分、スタンスとしては余り大差ないのかも知れない。

というわけで、僕としては、単に設定の面白さだけでなく、その先にあるリアリズムまで踏み込んだ作品が好ましい。
多くのファンタジーが発表されている中で、最近特に気に入っている2作品についてまとめる。

 

一つ目はアニメで、土曜夜に放送中の「宝石の国」だ。


すぐわかる『宝石の国』

原作は市川春子さんによる漫画で、8巻までが既に発売されている。
が、実はまだ原作は揃えていない。
入れ込みようからして、おそらく、アニメの放送が終わったら即座に全巻購入してしまうと思うが、とりあえず我慢している。

宝石の国(1) (アフタヌーンコミックス)

地上で生きる人型の宝石たちと、彼らを狙って飛来する月人たち。
その戦いを主軸として、宝石たちそれぞれが抱える苦悩や葛藤が描かれる。
ただし、彼らが人間と決定的に異なる点が二つある。
性別がないことと不死であること。
微小生物の作用によって無機物でありながら人型をとっている彼らは、子孫を作ることがないために性別という概念が存在しない。
また、仮に砕けたとしても、また繋ぎ合わせることによって何度でも修復でき、悠久の時を生きている。
ここまでの特徴を書くと余りにも人間離れしていて、とても現実感のある話とは思えないかも知れない。
しかし、なかなかどうして、この物語は、人間なら誰しも10代20代の頃に抱えていたコンプレックスや不安、焦りを良く映した作品なのだ。

宝石たちには、それぞれの宝石を特徴づける硬度・靭性があり、戦いや医療、服飾など、それぞれに適した仕事を担っている。
主人公フォスフォフィライトは、その中でもとりわけ脆く、硬度も低いため、適した仕事がずっと見つからないでいる。
宝石たちの末っ子として皆に愛されるキャラクターである反面、自分ではどうしようもない特性のために役に立てない自分を不甲斐なく思っている。
なりたい自分と現実の自分のギャップに苛立つ姿が、10代後半から20代前半の自分と重なって、堪らない気持ちになってしまう。

フォス以外のキャラクターも素晴らしい。
体から毒を排出してしまう特殊体質のために仲間と距離を置き、優れた能力を活かせず無意味な仕事を続けているシンシャ。
仲間を想いながら自分より高い能力に対する嫉妬心に思い悩むダイヤ。
誰よりも高い戦闘能力に誇りを持ち、自分にも他人にも厳しいボルツ。
低温でのみ結晶化する特質のために、皆が眠りにつく冬において孤独に仕事を続けるアンターク。

誰にも覚えがある感情が、「性」と「死」が排除されることによって、より際立つようになっている。
「性」はある意味で人間関係をシンプルにするし、「死」は関係をリセットして煮詰まることを防いでくれる。
宝石たちは、血を繋いだり肉体的な結びつきに逃げることもなく、自分の存在価値を求めて終わりのない日々を送っている。
自分が大学院生になったばかりの頃を思い出してみると、まさに彼らの感覚に近かった気がする。
もっと子供の頃には何にでもなれる気がしていたのに、自分の能力の限界に傷ついたり同期の優秀さに焦ったり。
何者にもなれそうにない不安と、それが永遠に続いてしまうような錯覚。
宝石たちの姿を見ていると、当時の自分の感情が蘇ってきて、まさに当事者のようなリアルさで迫ってくる。

第7話で見せたフォスとアンタークの会話が素晴らしかったので載せておく。

フォス:できることしかできないよ

アンターク:できることしかやらないからだ

フォス:できることなら精いっぱいやるよ

アンターク:できることしかできないままだな

 

もう一つは、少年チャンピオンで連載中の板垣巴留さんによる「BEASTARS」だ。

BEASTARS 1 (少年チャンピオン・コミックス)

擬人化された動物たちの学園における悲喜こもごもを描いた作品で、設定だけ見れば王道ファンタジーとも言える。
しかし、描いているテーマは「多様性」とか「社会的強者と弱者」とか「本能と理性」とか、なかなかシビアな部分を突いていて、それが「動物」という設定と極めて良く合っている。

肉食動物と草食動物がともに暮らす社会で、動物性の食べ物としては卵と乳製品のみが許され、食肉は固く禁じられている。
しかし、肉食動物と草食動物の間には拭いきれない差別意識が残っており、また実際、肉食動物による食殺事件が起こったり、本能を忘れられない肉食動物のための闇市が存在したりする。
本質的に「食う」「食われる」の関係であるため、協調がより偽善的なものに映り、強者と弱者の関係がより切実なものになる。
文字通りの「食べる」ではないものの、社会的な物事に置き換えれば、まさに現代社会の相似になっていて、その環境に置かれた人間がどう考えてどう振舞うか、鋭い考察が描かれている。

読むとまず絵の上手さに圧倒されるのだが、それ以上にキャラクター設定が素晴らしい。
ハイイロオオカミでありながら内気で自省的な主人公レゴシや、気高くストイックに自分の野心を追いかけるアカシカのルイ先輩も勿論良い。
だが、やはり特筆すべきは女性キャラクターだろう。
ドワーフ種のウサギのハルとハイイロオオカミのジュノ。
ハルは、身体的に最も弱い種という立場でありながら数々の男性たちと肉体関係を持ち、その中でアイデンティティを保つという、女性の陰的な複雑さを象徴するような存在だ。
一方でジュノは、美貌と才能に裏打ちされた絶対的な自信の下に欲深さを隠そうともしない、女性の陽的な複雑さを象徴している。
対照的なこの二人の女性キャラクターと、主人公含む男性キャラクターのやり取りは、精神的な性差が色濃く出て、何とも言えないリアルさを持っている。
動物をキャラクターにすることで、本能的な性差の部分が強調されるのかも知れない。
ここまで深みのある女性キャラクターを楽しめる少年漫画は少ないと思う。
女性作家にしか描けないキャラだし漫画だ、と強く感じる。

 

最近は専らこの二作品を楽しみながら、ファンタジー作品の研ぎ澄まされたリアリズムに感動している。
どちらも、それぞれの設定の中で魅力的なキャラクターたちが、自分の居場所を求めて戦っている。
アラサーまで生きてきて大分楽になってきた感があるが、僕もまだ、彼らと同じようにもがいている気がする。