童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

欲望を手放すな ~ダンジョン飯 x さらざんまい

アニメ版「ダンジョン飯」、毎週楽しませてもらっている。
原作からのファンとしても、アニメとして動いている主人公パーティーが見られるのはとても嬉しい。
先日の日記にも書いたけれど、原作が大団円のラストを迎えたタイミングでのアニメ放送は、本当にタイミングが良かったと思う。
SNSを眺めていると、アニメで気になった方が既に完結しているならば…と原作を手に取る機会も多いようだ。

ダンジョン飯 1巻 (HARTA COMIX)

ダンジョン飯」を語るのが難しい理由は、その切り口の多さにある。
圧倒的な高解像度で緻密に描かれる世界設定、ダンジョンや魔物への鋭い考察、魅力的なキャラクター達の物語的背景、絵・漫画の巧さ…
枚挙にいとまがない。
その中で、僕が最後まで読んだ上で、やはりこれが主題だろうと思う「欲望」について、感想を残しておこうと思う。
多分にネタバレを含むので、未読の方はこの先を読まずに是非漫画を読んでみて欲しい。

 

欲望とは、一体何か。

ダンジョン飯」、特に後半部分は、まさに欲望の話だったと言って良いと思う。
そもそも本作は、主人公たちが空腹でメンバーを一人失うところからスタートする。
そして、魔物で食欲を満たしながらダンジョンを攻略していくことになる。
その意味で、最初からこの物語は「欲望」によって駆動されていたと言える。
後半は、それがよりはっきりと呈示される。
「欲望」を喰らうという、悪魔と対峙することになるからだ。

悪魔は、人間の抱える複雑で歪んだ欲望が大好物である。
だから、その欲望がいびつに膨らんでいくように力を与え、その人間はダンジョンの主となってしまう。
けれども欲望は、一回食べたらそれでおしまい。
喰われた人間は、何にも喜びを感じられない廃人となる。
そうなると、悪魔は次のダンジョン主を探さなければならない。
つまり悪魔もまた、「欲望を食べたい」という欲望に囚われている。

生きとし生けるものは全て、生命や種の維持のための何らかの欲望を抱えている。
食欲、睡眠欲、性欲に代表される欲望は、生物そのものの根幹に関わるものである。
草を虫が食べ、虫を鳥が食べ、その鳥を人間が食べ、人間の排泄物を微生物が食べ、植物に栄養が与えられる。
食物連鎖は、エコシステムは、サークルオブライフは、つまるところ欲望のバトンリレーである。
人間の場合、欲望はさらに複雑化していくが、それでも生命力と欲望の強い結びつきは変わらない。
欲望こそが、生きていると実感できる瞬間であり、それだけに同時に弱点にもなり得る。
ダンジョン飯」は、そのことを否定も肯定もせず、ただ事実として捉えている。

 

ダンジョン飯」は、生物にとって「欲望」こそが生命活動の本質であることを述べている。
人間に限るならば、「欲望」はその人らしさ、アイデンティティの顕現とも言える。
実際に、「ダンジョン飯」で悪魔を魅了した人間たちの欲望は、各キャラクターの背景に根ざした固有のものであった。
その意味で、欲望を喰われるということは、アイデンティティの喪失に繋がる。

2019年、そのことを主題に置いたアニメが放送されていた。
それが「さらざんまい」である。


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僕の敬愛する幾原邦彦監督によるオリジナルアニメ。
キャッチコピーにそのまま落とし込まれている。

「つながっても、見失っても。手放すな、欲望は君の命だ。」

シンプルかつ明快にまとまっている。
作品そのものも、自らの欲望に根ざした秘密を抱える少年たちが河童となり、欲望を搾取されたカパゾンビと戦う物語。
欲望をその人の人格そのものと捉えて、欲望を介して他者と繋がれるのだということを描いている。
そして、だからこそ欲望を手放すな、と強く訴えている。
まさに、「ダンジョン飯」に通じるテーマだと思う。

 

ダンジョン飯」の連載開始が2014年で、本作の放送が2019年。
影響があったかどうかは定かでないが、現在に繋がるこの時期に、複数の作家たちが同様の問題意識を持っていたことは間違いないだろう。
我々は、次から次へと与えられる情報を前にして、自らの欲望を見失いかけている。
小学生の頃の自由研究のように、いつも自由が欲しいと願っていたはずが、いざ自由になると何をして良いか分からなくなってしまう。
何かしたいと思っても、誰かにそう思わせられているような感覚が拭えない。
本当にしたいことは、一体何だったのか。
僕たちは、それをもっと大事にしなければいけないはずだ。

では、欲望が見つかったのなら、それが命じるままに生きれば、それで良いのか。
ダンジョン飯」が凄いのは、さらにその先にも踏み込んでいる点だ。

本作では、それをイヅツミというキャラクターに代弁させている。
イズツミは、主人公パーティーに後半から参加するキャラクターで、猫と人間の魂が混じった獣人である。
勝手気ままに生きていて、好き嫌いも激しく、主人公たちを翻弄する。
そんな彼女が、最後、欲望のままに生きていると、本当にしたいことはできなくなる、ということに気が付く。
食べたいだけを食べていれば健康を害するし、自分に都合が良いようにだけ振る舞っていれば関係を悪くしてしまう。
それを考慮した上で、欲望のままに振る舞うかどうか判断しなければならない。
そして、更に彼女は言う。
一番腹が立つのは、その振る舞いを選択できないことだ、と。

最初から選択肢が与えられないこと、それを差別と言ったり迫害と言ったりする。
欲望と社会秩序の関係に踏み込んだ上で、さらに社会構造が抱える問題にまで触れている。
ダンジョン飯」という漫画は、本当に凄い。
この記事を書きながら、再読したいという気持ちになっている。
実は1巻を人に貸したまままだ返ってきていない。
もういっそ作者に敬意を払って新品を買ってしまおうかと迷い始めている。