童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2024年2月25日

今日はほぼ一日、論文のための図を作っていた。

図は、論文を書くに当たって最も重要である。
少なくとも自分はそう教わったし、自分で書くようになってからもその通りだと思っている。
きちんと良い図が揃っていれば、論文はあらかた出来上がったと言っても良いくらい。
図にきちんとデータがまとまっていて、それらが論理的に並んでいれば、後はその間をそれらの説明と考察で繋いでいけば良い。

だから、図を書く作業は最も慎重になるし、時間もその分かかる。
今日だって、一日使って結局一つしか作り終えられなかった。
図を作りながらデータの再解析をしたりするし、プロット範囲やら色やら配置やら、ありとあらゆるパターンを試して主張が伝わりやすいものを選ばねばならない。
午前から昼過ぎにかけて一生懸命解析してプロットした補助データも、結果的に見映えがしなかったので削除した。
無駄な作業をしたようだけれど、こうした試行錯誤は欠かせない。
それに、こうした補助解析をやっておくと、論文投稿時に査読者からイチャモンを付けられても対応しやすくなる。

図の美しさは、多分、論文受理の可否にも影響を与える。
正確性は当たり前として、やはり見やすかったりこだわりが感じられる図は、それだけで心証が良い。
自分で査読をする時にも、図が見づらいから却下ということはないまでも、修正しなければ掲載不可くらいはコメントする。
まして、ScienceやらNatureやら、言わずと知れた有名雑誌なんかでは、なおさら図の判定基準が厳しいに違いない。

ところが、見た目のスタイリッシュさと正確性は、時として矛盾することがある。
例えば、1日の気温変化のデータを1ヶ月測定したと仮定しよう。
1日の気温変化は、大体似ているので、1日分をプロットした上で日毎の変化が分かるようにしたい。
30日分、同じ1日のプロットを重ねても良いが、それだと見づらくなることは容易に想像できる。
1日ごとにプロットを少しずつオフセットすれば、互いのデータは重ならないので、だいぶ見やすくなる。
さらに工夫するならば、日変化を奥行き方向に取って、三次元的にプロットするのも良い。
さて、この場合、もし論文に載せるなら後者の二つで悩むことになるわけだが、この判断が難しい。
おそらく、見た目としてスッキリして印象が良いのは最後の三次元プロットだろう。
しかし、仮に同分野の研究者がこの図からデータを取り込もうと思ったとき、三次元プロットだと正しく値を拾うことができない。
この検証可能性の点では、オフセットして並べた図の方が優れていて、より正確ということになる。

好みの問題だが、自分はどうしても正確性の方を優先しがちだ。
別に図の見た目を重視したって、生データを付録に載せておけば良いという考え方もある。
でも、重要なデータであればあるほど、やはり本編の方に載っているべきではないかと思ってしまう。
こんなことを考えてしまって、いつもイマイチ格好つかない図を作ってしまっている。
今日の図も、およそ同じようなことでぐるぐる行ったり来たりして、結局いつもと同じような野暮ったいものになってしまった気がする。
一回くらい、見た目に全振りして書いてみるのも大事かも知れない。
ただ、それであっさり論文が受理されたりなんかしたら、ちょっとショックかも知れない。