童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2023年11月27日

数日前に書いた羽生結弦氏の離婚のニュースに関する日記がきっかけなのか、急にアクセス数が増えていて驚く。
コアなファンの方にどう受け止められているのか、少し不安に思っている。

それにしても、誰かに見せようと思って始めたブログではないはずなのに、何となくアクセス数を気にしてしまうのはなぜなのだろう。
忙しくて日記を書けない日でもアクセス解析だけは開いてしまうし、スターが付いていると少しウキウキしてしまう。
それらを稼ぐために書こうとは思っていないつもりでも、何だかそういう色気が混じってしまいそうで、そんな自分の現金な部分を浅ましく思っている。
そんなことを思えるほど、大したアクセス数でもないのだけれど。

10代の頃から、生きているというより、何かに生かされているという感覚がある。
毎日のように自殺を考えていた痛い中学生時代を経てからは、特にその傾向が強い。
自ら死にたいとはもう思わないけれど、自然の流れならば基本いつ死んでも構わないと思っている。
創作物や有名人のインタビューで良く聴く「忘れられた時が本当の死」とか「この世に自分が生きた痕跡を残したい」とかのフレーズも、正直ピンとこない。
僕は、なるべく誰にも気づかれずにこの世をお暇したいし、立つ鳥跡を濁したくない。
お葬式もできればやらないで欲しいし、いつまでも思い出して悲しまれたりなんてまっぴらごめんだ。

であるはずなのに、自分の書いた論文が受理されて掲載が決まると、ものすごく嬉しい。
本当に、否定のしようもないほど気分が高揚する。
自分の名前が後世に残る最たるものだと思うのだけれど。
ただ、「この世に貢献して名前を残したい」というのとは、少し違う気持ちがある。
どちらかと言うと、自分が興味を持って研究していたことを、他の誰か(査読者や編集者)も面白いと思ってくれた、と言う喜びに近い。
研究者コミュニティにおける承認欲求というか、一人ではなかった安心感みたいなものがある。
応用よりも基礎科学的な分野で研究をしがちなので、余計にそう思うのかも知れない。

ブログのアクセス数やスターも、要するに承認や思想の共有を意味し、結果として孤独感の抑制として働いているのかも知れない。
特にこのブログでは、可能な限り嘘はつかないことを目標にしていた。
そのため、ここに書かれたことは、ほぼほぼ僕の脳内そのままになっている。
時間とともに移ろって、前書いていたことと矛盾するかも知れないことも、気にせずありのままにしている。
その上で良いと思ってもらえることは、裸の状態を肯定してもらえたような気恥ずかしさと嬉しさがあるのだろう。