童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2023年12月15日

12月も半分が過ぎて、「良いお年を」という挨拶を聞く頻度が増してきた。
とは言え、まだ積み残した仕事は山ほどあるし、年末年始もギリギリまで働いてギリギリから働き始めることが既に決まっているし、年の瀬の気分には全くなっていない。

そういえば、僕がまだ子どもだった頃は、年末と言うと年賀状のことを気にしていた。
大学生くらいになるまで、年賀状に載せる絵を描くのは主に僕の仕事であった。
あまりうまく描ける自信もなくて、毎年それが酷く億劫だったのを覚えている。
大人に近くなってからはその仕事からも解放されて、書く面倒臭さだけが残っていた。
世間では、メールも超えてチャットツールが全盛になっていて、年越しの瞬間に遅延なしでメッセージをやり取りできるようになっている。
僕もご多聞に洩れず、普段仲良くしている友達や同僚なんかは直接メッセージでやりとりするように変わってしまって、年賀状を書く量もぐっと減った。

それでも年賀状を出し続けている人が数人いる。
つまり、年賀状だけで1年に1度やり取りを続けている人達だ。
段々その距離感が面白くなっていて、一応今までのところ切らさずに続けてきている。
その相手の中で特に印象が強いのが、小学校低学年の時の担任の先生で、彼女に出す年賀状は、いつも気持ちが入ってしまう。
特に目立つ生徒ではなかったと思うのだけれど、この先生はどうやらきちんと僕のことを覚えているようなのだ。
大学に進学したことを遅い年賀状で報告した時には、何と便箋数枚にわたった長文の手紙を頂戴して恐縮してしまった。
中身を読んでも、多少他の生徒と混同している部分はあるような気がしたけれど概ね合っていて、本当に驚かされた。
その時点で10年くらい前のことだったわけで、その間も様々な児童に出会って、彼ら彼女らの分の記憶も積み重ねていっているはず。
人間の記憶量の可能性に感動すら覚える。
そういえば、うち母親はPTA含めて学校の行事に全く参加しない人だったのだけれど、入学式と卒業式だけは参列していて、卒業式の時にその先生に声をかけられたと言っていた。
入学式の時にもちろん一度会ってはいるはずだが、それっきり卒業式まで来たことはなかったのに。
人の顔を覚えたりすることに、何か特殊な才能をお持ちの方なのかも知れない。

それにしても、家族でも友達でもない人が、いつまでも僕のことを覚えていると言うことは、何だかとても貴重なような気がしている。
丁寧な年賀状を頂くたびに、忘れていた自分を思い出させてもらえるような気持ちになる。
なるべくなら僕のような人間のことは早く忘れてもらいたいと思わないではないけれど、この細々としたやり取りは、今後も絶やさずに続けていきたいと思っている。