童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2024年4月12日

昨日の夜は、前々から飲みに行きましょうと約束していた職場の方と初めてご一緒してきた。
この4月からペアになって働く人が代わり、かなり大変な目に遭っていると聞いていた。
なので、昨日の夜のほとんどは、それぞれの人の最近の苦労話、というか愚痴。
そうなる気がして中心街から少し離れた居酒屋を選んだおかげなのか、我々以外に他のお客さんも現れず、デトックスに専念した夜だった。

なぜかは良くわからないのだけれど、昔から良く愚痴を聞く立場になりやすい。
多分、僕が愚痴っぽいからなのだろう。
居室でも良く、今こんなことがあって困っているんだとか、さっき来たメールに腹が立ったとか、そんな話をしている。
別に深刻なつもりはなくて、腹に溜めないために吐き出しているだけ。
自分では、前向きな愚痴だと勝手に思っている。
だからなのか、別に居室の入り口に「よろず愚痴、伺います」の貼り紙をしているわけでもないのに、方々から人が集まってはみんな愚痴を吐いて去っていく。
上の立場の人も下の立場の人も、老若男女問わず現れる。
それくらい、現代人には毒が溜まっていると言うことだろう。

考えてみると、そもそも母がかなり愚痴っぽかった。
実家で暮らしていた頃は、良くそれを聞いていた。
祖母の介護が始まってからはそれに父が加わって、今や仕事場でも実家でも誰かの愚痴を聞いている気がする。
ここまで来ると、もしかすると自分には愚痴を聞く才能があるのかも知れない。
実際、あまりジメジメして洒落にならないようなものでなければ、愚痴を聞かされてもそれほど喰らわない。
愚痴は良くないと言う人も多いけれど、言語化することで整理されてスッキリすることは良くあることだし、それで明日も頑張れるなら良いじゃんと思っている。
ポジティブな愚痴って、多分ある気がする。
本当は、研究者ではなくてカウンセラーとかに向いていたのかも知れない、などと今更になって思う。