童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2024年4月9日

少し前に誕生日を迎えた職場の先輩に、プレゼントを渡してきた。
普段からあれこれとお世話になっているので、毎年何かしらお贈りしている。
イベント好きな方なので、パーティーグッズやらバラエティグッズやらを選んで渡してきたのだけど、今年は時間もなかったこともあって消え物にしてしまった。
それでも自分で使ったことがあるもので、かつオススメしたいと思えるものを選んだ。
喜んでもらえたら嬉しい。

人のプレゼントを選ぶのは、割と好きな方だと思う。
今回渡した方の他にも、何人か職場の同僚には誕生日プレゼントを贈っている。
その人の好みを考えたり、だけど自分らしさも出したかったり、その辺のバランスを取りながら選ぶのが楽しい。
自分では買わないけれど、誰かからもらえたら嬉しい、みたいなラインを攻めたがる。
あと、自分で気になっていたものをあえて渡して使い勝手を聞いてみたり試させてもらったりもする。
本当は誕生日じゃない時も好きにプレゼントを贈りたいのだけれど、流石にそれは怖がらせるので控えている。

逆に、プレゼントされるのははっきりと苦手だ。
まず、渡された時にどんな顔をしたら良いのか分からない。
嬉しい気持ちもちょっとはあるが、自分のためにコストをかけさせたことに恐縮してしまう。
その上、心の底からの喜びを見せられないのが、輪をかけて申し訳ない。
そして、これは本当に嫌なやつだと思うのだけど、人からのプレゼントが自分の好みと合致することがとても少ない。
何なら、これが好きだと思われているのだろうか…と相手の目に映る自分の姿にショックを受けることすらある。
誕生日だった場合、何だか1年間の自分の振る舞いの通信簿を受け取るような心持ちなのかも知れない。
ああやっぱり理解してもらえなかったのだな、と言う残念さが残っていく。

プレゼントを贈るのは好き、贈られるのは嫌い。
この非対称性は一体何なのだろう。
自分が苦手だと思うように、僕が誰かに渡した時もそう思われている可能性だって大いにある。
それでも贈るのが好きなのは、自分は相手のことをちゃんと理解できているはずだという驕りがあるせいかも知れない。
相手が僕を見る目より、僕が相手を見る目の方が確かだという自信の表れではないか。
身も蓋もない言い方をするなら、人よりセンスがあると思い上がっているのではないか。
そう思い当たったら、何だか恥ずかしくなってきてしまった。