童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2023年10月31日

先日放送されたねほりんぱほりん投げ銭にハマった人」後編がなかなか味わい深かった。

www.nhk.jp

ねほりんぱほりんは、事情があって顔出しNGのゲストを深掘りする覆面インタビュー番組で、今回で第8シリーズを数えるEテレの人気番組の一つである。
覆面であることを逆手にとり、インタビューの模様をEテレが誇る高度な操演技術でもって人形劇に昇華。
毎回、素晴らしいエンターテイメントに仕上げてくるので、楽しみに視聴させてもらっている。

今回のゲストは、投げ銭にハマった人。
要するに、YouTubeなどでライブ配信をしている人に高額な投げ銭をすることに没頭している方々だった。
投げ銭をするために親に土下座して借金までしたというエピソードが語られる中、僕が気になったのは、ゲストの一人であるフーガさんの投げ銭にハマった理由だ。
彼はその理由の一つに、金銭が媒介することで好意が約束されることを挙げていた。
現実の女性は、高い食事を奢ってプレゼントを渡したからと言って、必ず好意を向けてくれるわけではない。
実際フーガさんは、何人かの女性と食事に行ったりもしたようだが、勇気を出して告白をしても「友達で良いかな…?」などと言われて振られていたそうだ。
そう言う経験を繰り返した結果、投げ銭によって必ずレスポンスされるというシンプルな仕組みが好ましいと思ったらしい。
以前、「ホストにハマった人」の回でも、ゲストが似たようなことを述べていた。

そのやりとりを観ていて、対価の意識と好意の関係についてまた考えさせられてしまった。
好きの種類にもよるかも知れないが、僕は、自分が好ましいと思っている人ほど、好意に値段を付けられることに抵抗がある。
例えば、とても親しい友人がいたとして、その友人が風邪で学校を休んでいたので、後でノートを見せてあげたとしよう。
その時に、じゃあお礼にと言って1000円札を渡されたらどうだろうか。
少なくとも僕は、ちょっと傷つくと思う。
同じ値段だったとしても、一緒にランチに行ってご飯を奢ってくれる方がまだマシだ。
きっとそれは、一緒に昼食を取るという時間やその間の会話といった感情のやり取りが含まれているからなのだと思う。
言い訳のしようもない値段を出されると、好意に対する対価について、もやもやした余計な思考が絡んできてしまう。
こんなもんか…と思っても、こんなに…と思っても、相手との関係に損得感情が影を落とすようになる。

配信者と親しい友人ではもちろん違うだろうけれど、ある金額を投げたときに反応が返ってくると言うやり取りがある種の仕組みになってしまったら、果たしてその反応は好意なのだろうか、とどうしても思ってしまう。
それはもう、ある種の契約に近くないだろうか。
その対価意識が暴れ始めた時に、やれ投げ銭したのに反応が薄いとか、やれお気に入りだ贔屓だ裏切りだとか、余計な思考に支配されて拗らせてしまうのではなかろうか。
その意識へと至る文脈は理解できたものの、結局あまり共感はできなかった。
もし彼らのような人間が増えてきているのだとすると、人間にとっての好意の位置付けが変わりつつあると言うことなのかも知れない。