童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

「徹子の部屋」2018年BEST3

2020年になって今更2018年か、という気もするが、実はちゃんと決めておいて書いていなかったので折角だから吐き出しておく。
ちなみに2019年はまだ迷っているので、時間がかかるかも知れない。
でも、そろそろ録画用HDDの空き領域を増やしたいので、そっちもさっさと成仏させたいところだ。

第3位 ゲスト「ANZEN漫才」2018年4月13日放送

ANZEN漫才

この回は、おそらく「徹子の部屋愛好家」(一人もお会いしたことはないが)の間でも2018年の筆頭に上がる回ではないかと思う。
芸人ゲスト回の中でも屈指の神回であったことは疑いない。

前半はみやぞんさんのみで徹子さんとトーク、後半で相方のあらぽんさんが合流するという構成なのだが、とにかく前半の二人の噛み合わなさが凄い。
元々、徹子さんはあの通り独特の感性を持っているため、ゲストがツッコミ側に回らされることも少なくない。
ところが、時たまゲストが負けず劣らず個性を発揮することがあって、合うか合わないかで大きく明暗が分かれることがある。
みやぞんさんの人となりは事前に知っていたので、どちらに転ぶか楽しみにしていた。
結果、圧倒的「暗」であった。
「暗黒」と言っても良いかも知れない。
奇しくも放送が13日の金曜日だったのは、何かの暗示だったと言えるだろう。

「あなた、突然笑うのね、びっくりしちゃう」という軽いジャブから始まり、なかなか伝わらないヘアセットの質問、期待を外したギター披露と続き、好物の生ダコの話でピークを迎える。
生ダコにハマっていて食べていたと主張するみやぞん氏。
生でタコを食べる習慣がなく茹でて食べたに違いないと譲らない徹子氏。
徹子さんの「生ダコって何色?」と言う質問に、困って「タコ色ですね」と答えるみやぞんさん。
あまりの噛み合わなさに居た堪れなくなってしまう。

二人は不本意かもしれないが、本質的に良く似ているのだ。
二人とも、聞かれた質問やそれに対する答えについて、自分の考えや想像を超えていたりすると、それを曖昧にできないのだ。
伝わらないと思ったとき、何となく有耶無耶に終わらせてしまうことはよくあることだが、彼らはそれができない。
本来それは「誠実さ」と呼ぶべきもので、美徳の一つだと思う。
でも、今回はその「誠実さ」が悪い方向に発揮されてしまったと言える。
二人とも、互いの文脈に沿って話をしようとするけれども、相手の文脈を見失ってリズムが崩れ、大変気味の悪い会話ができあがる。
おそらく当事者の二人が最も気持ち悪かったのではないだろうか。

だが、ここで終わらないのが、この回の素晴らしいところなのだ。
正直、このくらいの噛み合わなさは、程度の差こそあれ、徹子の部屋ではたまに起きることなのだ。
この回の第3位たる由縁は、後半に登場したあらぽんさんにある。
正直、僕はみやぞんさんは見たことがあっても、あらぽんさんのことは良く知らなかった。
この回の説明も、確かゲストは「みやぞん」とだけなっていて、彼の登場はおまけのような扱いだったと思う。
だが、僕はあえてそこをゲスト「ANZEN漫才」と書きたい。
それくらい、あらぽんさんの登場はこの回において重要だった。

みやぞんの相方としてCM明けに登場した彼は、一目見て「まともそう」だった。
みやぞんさんと徹子さんの間に座り、バラエティ界の人気者になっていく相方兼幼なじみについて屈託なくエピソードを披露する。
まともなだけではない、とても「良い」人間なのだ。
前半、惨憺たる会話が繰り広げられたところからは考えられないほど、彼がいるだけで春の海のように穏やかになる。
あらぽんさんが趣味の瓢箪づくりについて話す場面は、前半の生ダコの話と良い対比になっている。
みやぞんさんと徹子さんの会話さえも何となくまとまって聞こえてくるから不思議だ。
多分、彼は猛獣使いとかに向いていると思う。

前半から後半に向けての大きな転換。
しかも、そのきっかけを作っているのがコンビの露出が少ない方。
偶然の産物とは言え、素晴らしい構成だった。

第2位 ゲスト「仲雅美」2018年1月25日放送

仲雅美

たまにある出オチ回と思うなかれ。
この回は、あるアイドルの一生として、貴重なドキュメントになっている。
1位とかなり迷ったのだが、「徹子の部屋」というよりも「ザ・ノンフィクション」に近いかも知れない、ということで順位を下げた。

仲雅美さんは、1971年に「ポーリュシカ・ポーレ」というロシア民謡の楽曲が大ヒット、当時アイドル的な人気を博していた。
その後、波瀾万丈の果てに、放送当時は67歳で警備員のアルバイトをしている、とのことだった。
番組も、若い頃の彼のブロマイドから警備中の彼の制服姿を出し、上記の特徴的な衣装の姿にスイッチするという演出で彼を迎えていて、回全体で彼の人生にフォーカスするという強い意気込みが感じられた。

この回を通して強く思うのは、仲雅美という人物は本物のアイドルだということだ。
もちろん若かりし頃の溌剌さはないけれども、上の写真で分かる通り、67歳になっても笑顔の人懐こさは健在である。
途中彼が警備員のアルバイトをする風景も出てくるのだが、本当におじさんが交通整理をしているだけなのだ。
あまりにも地味な絵面で、スタッフが「仕事は楽しいか?」というある意味失礼な質問をするのだが、それに対しても彼は笑顔で「楽しい」と答える。
今まで立ち仕事はほとんどしてこなかったけれど、このアルバイトのおかげで舞台でも3時間立ちっぱなしで大丈夫、どこで得するか分からないね、と。

彼はキャリアのスタートからしてもう凄い。
日露戦争に看護士として従軍していたというひいおばあさんのたっての希望で男子ながら日本舞踊を習い始めて、11歳で家が全焼してしまったことをきっかけに、踊りの縁で商業演劇の劇団に単身預けられることになったと言う。 
これだけでも、なかなかに悲惨な印象の身の上なのだが、彼はとても楽しそうに話すのだ。
全く湿っぽくならず、しかもどこを切り取っても面白い。

木下恵介監督の目に留まってドラマに出演し一躍スターとなるが、安定した収入を求めて日本未公開の外国映画をビデオ化・販売する事業を立ち上げる。
ところが、時代はVHSからDVDに変わっていく真っ只中。
個人事業でついていくには限界があり会社は倒産。
アルコールに溺れて腎不全&肝不全で一時は余命2日という状態にまでなったそうだ。
離婚して家も財産も全て処分、住み込みが可能な現在の警備員のアルバイトに落ち着いたのが59歳の時というのだから凄い。

楽しそうにカラカラと笑いながら話す彼には一転の陰りもない。
長年のファンの方との再会を機に芸能界に復帰、現在はライブ活動などもしているという。
ライブに足を運ぶファンの方のインタビューが全てを物語っていた。
仲さんを見ていると、人生いろいろあるかもしれないけど、頑張っていたら夢は叶うのかなって思う。
これってアイドルそのものではないだろうか。
決して人生を諦めない仲さんの笑顔はとても眩しかった。

第1位 ゲスト「松島トモ子」2018年10月18日

松島トモ子

松島トモ子さんと言えば、僕の世代としてはミネラル麦茶のCMに出ている姿がまず思い出される。
あとは、やはり何と言ってもライオンとヒョウに噛まれて生還したという超有名なエピソード。
何となく人間離れした佇まいも相まって、不思議な人という印象が強かったのだが、この回で不覚にも大泣きさせられてしまった。

弱冠4歳で芸能界デビュー、その後70年以上に亘ってずっと活躍されているのだからやはり只者ではない。
子役スターにありがちなことではあるが、彼女もまた、ステージママとずっと二人三脚でやってきたそうだ。
この回は、そのマネージャー兼プロデューサー兼家族として、文字通り公私ともに歩んできた母親の介護を告白する場となった。

松島さんのお母さんがレビー小体型認知症を発症したのは、この放送の2年ほど前だったという。
松島トモ子というタレントの一切の世話を引き受ける、上品でお洒落な職業婦人だったはずのお母さんが、突如凶暴に変わってしまったのだという。
大声で怒鳴り散らす、家中の家具を引き倒す、幻覚を見て家の外へ飛び出すetc
必死にそれを体で止めながら、人格が変わってしまったお母さんに松島さんもただただ怖かったという。
発症の2ヶ月前くらいには、二人で徹子の部屋にも出演していたというのだから、いかに急激な変化だったかが窺い知れる。

松島さんは生後間もなく母一人子一人で満州から引き上げてきて以来、他に家族もなく結婚もしなかったので、まさにお互いが生活の全てだったのだろうと思う。
それが、突如として全くの別人のように変わってしまった。 
しかも、生活能力が高く身の回りの世話を焼いていたはずの人の方が。
壮絶な介護生活を一気に背負うことになってしまい、ご自身もパニック障害過呼吸で倒れてしまったというが無理もない話だ。
認知症を発症したお母さんとどう向き合えば良いのか。
それを、この2年、体当たりで模索し続けたのだろう。
要介護度4でしかもご自身も70代という高齢ではあるが、簡単に施設へ預けてしまえるほど二人の関係性は単純ではなかった。

過呼吸でコンサートをキャンセルしている最中、芸能界の大恩人である永六輔さんの訃報が届く。
この回の後半、松島さんは永さん作詞の「遠くへ行きたい」をスタジオで披露する。
介護の話と相まって鬼気迫る歌唱となった。
もっと美しい歌声の綺麗な演奏はいくらでもあるだろう。
でも、ここ数年の間にテレビで観た歌唱の中で、最も心に響くものだった。

現在は、挫けながらも順調に自宅介護を続けているそうだ。
去年も長年の友人だという作家の吉永みち子さんと一緒に徹子の部屋へ出演されていた。
2018年の回ではまだ言葉を詰まらせながらであったのが、だいぶ回復されていたように思う。