童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2023年11月10日

一歩も家から外に出ず一日を過ごした。
新型コロナウィルス陽性なのだから、当たり前と言えば当たり前だ。
実際、朝方は熱も少しあったし、頭痛や咳があって辛かったというのもある。

ただ、メールを返したり、リモートで打ち合わせをしたり、性懲りも無く少し仕事をしてしまった。
そして、みんな寂しくないように気を遣ってくれるのか、同僚やら親やら良く電話をしてきてくれた。
仕事や病気の経過も含まれていたけれど、ほぼいつもの世間話。
おかげで暇だと思うような時間は少なかった。

自分はかなりお喋りの方だし、仕事場の居室も絶えず誰かが来てわいのわいのやっているので、寂しがりやに思われがちだと思う。
しかし、その実、一人でどこかに行くのは割と好きだし、1日誰とも話さずに過ごすのも全く苦にならない。
どころか、楽しく人と話していても、時間が経ってくると「早く終わらないかな」と思ってしまう。
親しさのレベルによって思い始めるまでの時間が伸び縮みするだけで、親であっても数日同じ家で暮らしていると「もういいよ」とか思ってしまう。
決して相手を嫌いになっているとか不快に思っているわけではない。
ただ、面倒になる瞬間が来る。
飽きている、と言っても良いかも知れない。
たまに、自分はものすごく冷徹で身勝手な人間なのではないかと疑いたくなる。

おそらく、完全に自分の裁量で使える裸の時間みたいなものが必要なのだと思う。
人は、他者と話すときに、それに適した仮面を被るものである。
親に対しては「息子」の、同僚に対しては「仕事仲間」の、友人に対しては「友達」の。
必ずその仮面からはみ出さない受け答えをするし、振る舞いをする。
それを全部剥ぎ取ってすっぴん裸の状態である時間。
実家にいた頃に一体どうやってそれを確保していたのか定かではないのだけれど、自分はそれを比較的長時間必要とする類の人間だったらしい。
帰省しても三日目くらいには一人暮らしの家に戻りたくなるのは、そう言う部分が大きい気がする。
決して親子仲が悪くなくても、そう言うことは起きうるのだと思っている。

今日も、あちこちからかかってくる電話に、ありがたいと思う反面煩わしく思う自分がいた。
電話がかかってくること自体は嬉しいはずで、誰かに必要とされている感じがして安心できる部分があることも確かなのだ。
必要とされたいくせに、それを振り払いたくもなるという、こんなに我儘で大丈夫かと自分のことながら心配になってしまった。