童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2023年10月16日

ここのところ、朝晩は冷えるのに昼は気温が高いので、着るものに困っている。
夏場はほとんどTシャツで過ごしているので、その流れで少し涼しくなっても長袖Tシャツを挟みながら基本はTシャツ1枚か2枚重ね着で何とか我慢して過ごしてきた。
が、そうとも言っていられないくらいに朝晩冷えるようになってきた。
脱ぎ着しやすい服を出してこないといけないと思いつつ、無精が出て衣替えに踏み出せずにいる。
本来、四季の中では秋服が最も好きなので、もう少し日中も涼しくなれば、パーカーやらカーディガンやら出してこようと思えるのだけれど、なかなかそんな気持ちになれないでいる。

昔は、着るものに本当に頓着がなかった。
特に高校生くらいまでは、自分ではほとんど服なんて買わず、親が買ってきてくれたものをそのまま着ていた。
制服のない高校に通っていたので何でも着られたはずだったし、髪だって染めてよかった。
それでも、何か見た目を変えようとも思っていなかったと思う。
当時かなり太っていたので多分似合わないと思っていたのもあるし、特にモテたいという気持ちもなかった。
それ以上に、人は見た目じゃないと思っていた、というのが大きかったと思う。
けれど、それから大学生になって良く分かった。
人は見た目だ、ということに。

多分、人は見た目じゃない、が通用するのは高校生までだと思う。
それ以上になると、見た目以上の情報に触れられるほど、他人と同じ時間・空間にいることを強制されなくなる。
高校生までが異常だったのだ。
気が合う/合わない関係なく40人くらいが狭い教室に詰め込まれ、机を並べて毎日毎日一緒に過ごすなんて。
しかもその人間関係に、直接的な利害関係がないなんて。
大学生以上になったら1回しか会わない人なんてザラだし、しばらく一緒に過ごしたとしても、バイトやら仕事やらお金が絡んでくる。
サークルや趣味の集まりは、共通点が前提としてある分だけ見た目以外のポイントがあるように思えるけれど、やっぱりその集まりの中で一期一会が繰り返されるだけだ。

濃密な共同生活がない以上、相手がどんな人間か判断するのは、見た目しかない。
どんな服を着て、どんな髪型で、どんなメイクで、どんな仕草をするのか。
そんな情報から、何となくこういう人かなと判断して、それに合わせた対応をする。
人は見た目じゃない、かも知れないけれど、見た目で判断せざるを得なくなる。
それが大学生以上の人との付き合い方なのだと、だんだん理解した。
呼応するように、自分も段々と着たい服が出てきた。
流行りやモテには相変わらず無頓着だけど、ちょっと変わった形や素材の服とか、デザインが面白い服とか、似合う似合わないも気にせず着るようになった。

失礼にならない範囲で自己主張して、気に入った服を着る。
見た目と中身が一致するように、分かりやすくありたいと思っている。
最近は、30代も半ばを過ぎたせいか、ちょっと高くても質の良いものを買うようになった。
そういうつもりはなかったけれど、どこか、年相応に見られたいという気持ちが出てきているのかも知れない。