童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2024年7月28日

ようやく新居で日記を書くことができている。
毎日せっせと荷物を運んで、とにかく旧居をほぼ空にすることができた。
この1週間で、既に1kgほど痩せている。
真夏の引越しは、明らかに体に負担が掛かると言うことを嫌と言うほど実感している。

さて、1週間ほど前に、ずっと開けていない段ボールのことを日記に書いた。
今回ついにその段ボールを開けてみたのだが、拍子抜けするような結果だった。
まず、1つは何と空だった。
記憶の中のパンドラの箱を開けるような気持ちで臨んだのに、手応えもなくあっさりと。
空の箱のことで戦々恐々としていたなんて何とも間抜けな話だと思いつつ、何だか示唆的に感じた。
僕が、苦手意識を持ってずっと避けているようなことも、実は案外実体がないものだったりするのかも知れない。
もう一つの箱は、ちゃんと中身があって、思い当たるものばかり。
ずっと起動していないPS2本体、ヒミツのフロッピーディスクを開くためのツール、エッセイ風の同人誌…
懐かしさと恥ずかしさと両方あるようなものばかりで、こちらはこれを機に色々と考えてみたくなっている。

引越しをしていて改めて思されるのが、捨てられないものがどんどんと増えていると言うこと。
回を重ねるごとに大変になっている気がする。
今回だって結構捨てたつもりでも、やはり前回よりは荷物が多くなっていると思う。
これは、何も家の引越しに限った話ではなくて、スマホの買い替えの時も毎回同じことを思う。
多分、昔のデータなんて持っていても9割方は使わない。
そもそも、何のデータが入っていたのかすら忘れている。
それでも、なぜかそれらは残しつつ、少し容量の大きい機種を選んでしまう。

人間の脳も、おそらくあまり変わらないのだろう。
我々の脳は、一度経験したことは脳のどこかに必ず書き込まれてデータが消えることはない、という話を聞いたことがある。
忘れてしまうと言うのは、脳のどこかにあるそのデータに、アクセスできなくなることを言うらしい。
まさに引越しの荷物と一緒。
ものが増えるほどに、カテゴリーが細分化され重層的に複雑化して整理されないまま詰め込まれている。
歳を取って、人や物の名前が出てきづらくなったり、別の物事と混同してしまったりしやすくなるのは、ある意味当然のことだろう。
新しいものを買ってみたら、もう既に似たものがあったりなんかして。
だから、脳のメモリーが未整理のまま膨張を続ける中で、空き領域に存在しない記憶を予感して怯えることだって、ありそうなバグじゃないかと思っている。