童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2024年2月17日

祖母の特別養護老人ホームが決まりつつある。
先月で要介護度が一つあがり、入りやすくなったことも幸いしたのだろう。
今週になってあれよあれよという間に話が進んでいった。
今はロングステイという形で預かってもらっていて、僕も急遽実家に戻り、今日は施設まで様子を見に行ってきた。

正直、今までショートステイデイケア先にも断られることがあったため、今度の施設もあまりうまくいかないのではないかと危惧していた。
が、今日、施設で過ごす祖母に会ってみて驚いた。
自宅で介護している時からは考えられないくらい、状態が安定していたのだ。
ここ2年くらい、僕のことは誰か分からなくなっていたのだが、今日は分かっていた。
その上で、自分は子や孫に恵まれている、感謝してもしきれない、というようなことをしきりと話していた。
そんな殊勝な様子の祖母は長く見ていなかったと思う。
介護する側(父)にとってもされる側(祖母)にとっても、自宅介護は限界を迎えていたということだろうか。
単純にプロはすごい、ということなのかも知れない。

それにしても、今日祖母と話しながら、人間の脳の仕組みの不思議に思いを馳せずにはいられなかった。
ずっと忘れていたはずの記憶が、どうして蘇ってきたりするのだろう。
データが失われているわけではなくて、その処理に問題が生じているということなのだろうが、とてもそれが不思議に感じられた。
だって、つい1ヶ月前くらいには、食事を運んだ僕に名前を訊ねて同じ苗字なことを心底驚いていたというのに。
一つ一つのデータを適切に組み合わせて取り出したりする機能が、正常に働いていないということなのか。
音や光などの外部刺激に対しても、うまくそれを変換して処理に回すことができないから、応答もできないのか。
脳の中のノイズレベルが上がった状態、みたいなことなのか。
認知症の世界を題材にした本は世の中に多く出版されているけれど、ちょっと興味が湧いてきてしまった。

両親は、ここ5年くらい生活の中心であった介護がとりあえず一段落し始めたことを受けて、ほとんど放心状態に近かった。
どっと疲れが出て体調を崩さないか心配している。
あまりスキーにばかり行っていないで、折角だから両親を温泉にでも連れて行ったりすべきかも知れない。