童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2024年2月18日

高校の頃から親しくしている友人たちと会って、「ボーはおそれている」を観てきた。
「ヘレディタリー/継承」「ミッドサマー」で世界中を震撼させたアリ・アスター監督最新作。
何となく一人で観る勇気がなくて、前2作も観ている友人たちと約束して行ってきたのだが、その選択は正解だった。
今回も、アリ・アスターアリ・アスターだった。


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3時間ずっと、恐怖に怯える主人公ボーの観ている世界が提示される。
我々は、彼の恐怖をずっと追体験させられる。
二度と経験したくない3時間。
この表現が、むしろ本作を褒めていることになるのだから不思議だ。

ボーは、極端に管理主義的で過保護な母親の元で育ち、大人になってなお、何一つ自分では決められず、絶えず悪い予想や周囲のノイズに恐怖を感じながら生きている。
実家に帰ろうと飛行機のチケットを買って、前日の夜にベッドに入る。
静かに横になっているはずなのに、隣人から音楽の音量を下げろというメッセージが次々と投げ込まれる。
気が付くと飛行機の出発時刻の2時間前。
慌てて準備をして部屋を出る。
鍵をかけようとキーを入れたところで忘れ物に気づく。
中に取りに行って戻ってくると、キーも荷物もなくなっている…
起こって欲しくないと思っていることが次々と起きていく。
現実と妄想の境が曖昧になり、3時間かけてボレロのように、ボーの恐怖がクレッシェンドし続ける。
そのピークで、彼は自らの罪を糾弾され、恐ろしい結末を迎えることになる。

要所要所分からない部分もかなり多かったが、とにかく言えることは、今回も前2作と共通して、歪な人間関係(特に親子)に焦点を当てた作品だったということだ。
母親の枠の中からいつまでも出られない、という恐怖。
常に監視されて、一つ一つの選択が"正解"かどうかをずっと気にしている。
これは、割と多くの現代人が多かれ少なかれ抱える病だと思う。
多分、アリ・アスターは、自分も含めて多くの人がボーのようだと考えている。
相互に監視し合いながら、大量に提示される選択肢を前に常に戸惑っている。
主体的に選択している、と考えたとしても、その背景にある考えが誰かに植え付けられたものでない、とどうして言えようか。
自分で選んだようでいて、選ばされたのではあるまいか。
そして、もう一つの恐怖。
何か恐ろしい事態が起こってしまったとして、その原因が自分の選択にあったのではあるまいか。
今度は、自分が選んだのではないと思いたくなる。
これは、自分に責任があるんじゃない、誰かに選ばされただけなんだ。

恐怖に苛まれるボーを、名優ホアキン・フェニックスが見事に演じきっている。
彼が一体、どんな気持ちでこの役を演じたのか、とても興味がある。
アリ・アスター監督の次回作にも出演予定とパンフレットには書いてあったので、嫌だったということはないのだろう。
だが、この役から戻れなくなったらノイローゼになること必至だろう。
監督とはかなり良く話し合った上でキャラクターを作っていったということなので、ボーに対する理解はかなり高かったのだろうと推察される。
それにしても、「JOKER」や「ナポレオン」などで彼のファンになった人たちが、本作を観たらどう思うのだろうか。
いらぬ心配をしてしまった。

決して、誰かにお薦めすることはできない作品。
けれども、こんな映画をシネコンで観られる機会はなかなかない。
それに、ある程度の緊張感を持って集中して観なければ、この恐怖をまともに食らうことは難しい。
ある意味で、映画館で見ることに大きな意義のある作品だったと言えるだろう。
ただ、怪作であったことは間違いない。