童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2024年1月3日

帰省している間はブログを書けるタイミングがなく、新年最初の日記も3日になってしまった。
サボっている間に、大地震が起き、羽田では飛行機の衝突事故があり、2024年は波乱の幕開けとなっている。
年末年始何をしていたかと言えば、年末にライブに行った以外は、ほぼ実家でダラダラと過ごしていた。
やはり介護が必要な祖母や、その世話をしている父を置いてあちこち出かけるわけにも行かず、散歩はしても車で遠出することはなかった。

以前の記事に書いた時から祖母の認知症もさらに進んでいて、昨夜食事を手伝った時には終始孫の僕に敬語を使っていて、あれこれ質問を投げていた。
苗字が同じであることを伝えると心底驚いた顔をしていて、一緒にいた70代の父と従兄弟かと聞かれてちょっとショックだった。
孫であることを説明してみたが、最後までピンとは来ていないようだった。
夕食の後の薬の服用、トイレでのオムツの取り替え、入れ歯を外して歯磨き、就寝という一連の流れを、実家にいる間は毎日父を手伝いながら見守った。
動作自体も緩慢だし、薬や歩行を拒否することも多いし、これを毎日ほぼ一人で父がやっているのかと思うと本当に頭が下がる思いだった。
最近は便秘気味だからということで、腹痛がある時などはオリーブオイルをつけた指を肛門に入れてかきだしたりしていると言う。
他の作業は何とか代われても、流石にそれはできそうもない、と思ってしまった。

認知症が始まる前からそうではあったけれど、祖母は、甘いものを好んで食べる。
お正月ということもあってお節を小分けにして出したのだけれど、栗きんとんや黒豆をとても良く食べていた。
特にきんとんは、舐めとるように綺麗に食べる日もあって、余程気に入ったらしかった。
ノロノロとスプーンや箸を使ってきんとんを口に運ぶ姿を見ながら、僕はクマのプーさんを連想していた。
それは、もう既に僕が、祖母を人間として考えなくなり始めている証ではないかと薄寒くなってしまった。
自分が酷い人間になった気がするという話を両親にしたら、そんなことは日常茶飯事だと一蹴されてしまった。
確かに、過酷な介護の最前線にいる人から見たら、たまに帰ってきて介護の真似事をしているだけで、何を甘いことを言っているのかという話かも知れない。
ただ、自身の優生思想めいたものには敏感でありたいし、人間性を手放したくはないと思っている。
その一方で、便秘で苦しむ祖母を目の当たりにしても父のようには振る舞えないと思う自分もいて、何だか強い矛盾を感じている。