童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

MW ~エロスとストロゲー~

ずっと読みたいと思っていた「MW」を読んだ。
とんでもなく面白かったので、感想をまとめておきたいと思う。

MW 悪魔の化身―悪魔の化身 (My First Big)

MW 悪魔の化身―悪魔の化身 (My First Big)

 

MWは、1970年代に青年誌で連載されていた作品で、「猟奇殺人」や「同性愛」といったショッキングなテーマを扱っていることから、多くの手塚作品の中でも「黒手塚」の代表作として特別視されている。
銀行に勤める美貌の男・結城美知夫と、神父の賀来巌の二人を軸に話が展開される。
二人は、少年時代に沖ノ真船島という南島で出会い、その島に密かに貯蔵されていた化学兵器「MW」の漏出事故に巻き込まれる。
島民は、彼ら二人を残して全滅。
ところが、その事故は時の政権によって握りつぶされて、闇から闇へ葬り去られてしまう。
結城は、この事故の当事者たちを相手取って誘拐、殺人、恐喝を続け、MWを手に入れて世界を滅ぼそうと画策する。
一方の賀来は、結城の行為を知りながら、それを止めることができない。
結城と賀来は、少年時代からずっと同性愛の関係にあるのだ。
結城との関係を続けながら、彼は次第に、神父としての使命感や背徳感、人としての罪悪感に苛まれていく。

 

まず最初に思ったのは、読むのが大人になってからで良かった、ということだ。

内容が過激ということもあるが、それ以上に、結城の魅力が悪魔的で、中高生の時分に読んでいたら間違いなく影響を受けていただろうと思うからだ。
自分も中学生の頃は鬱屈した思いを抱えて、世の中全てに腹が立ち、破壊衝動に駆られることが少なくなかった。
当時の自分だったら、共鳴するところが多すぎて、彼に心酔しきってしまっていただろうという確信がある。
大人になって多少落ち着いて受け止められるものの、それでもなお、彼のキャラクターには惹きつけられるものがある。
おそらく、本作を読んで彼を好きにならない人はいないのではないだろうか。
 

現在の僕の視点から、結城の魅力について、考えてみる。

彼の魅力の本質は、圧倒的な「悲しさ」だと思う。
誰も幸せにはならない本作の中でも、結城の抱える悲しみは深い…ように思われる。
何故、「ように思われる」と書くのかと言えば、作中、彼の心情(モノローグ)が顕わになる場面がほぼ皆無だからだ。
賀来神父や、結城に都合よく使われる女たちの視点で描いた方が、より結城の悪魔性が引き立つ上に、読者の共感も呼びやすいという効果があったからだろう。
したがって、ここで言っている「悲しみ」も、僕が勝手に解釈しているに過ぎないのだが、最早、彼の心情が陽に描かれないことすらも悲しく思えてくる。

 

結城の「悲しさ」とは何か。

本作を通してずっと、僕には、結城の方が賀来のことを愛していたように思われて仕方なかった。
そう考えなければ、結城の行動は、こと賀来に関する部分だけ、無駄が多すぎるのだ。

例えば澄子の存在。
彼女は、賀来の想い人であり良心でもある存在だったが、結城に誑し込まれてしまう。
はっきり言って、彼女に近づくことは、賀来への嫌がらせでしかない。
手持ちの駒を増やすなら、彼女の他にもいくらだっているのだ。
もっと言うなら、そもそも賀来を自分の計画に巻き込む必要なんかないのだ。
むしろ、賀来がいない方が、ことはスムーズに進んだはずだ。
結城が躍起になるのは、巻き込んだ賀来が思わぬ行動を起こすため、そのフォローの部分が大きい。
つまり、この話は、あたかも結城が賀来を翻弄している話のように見せていて、その実、賀来が結城を翻弄している話なのだ。

彼が、何故そうまでして賀来を自身の計画に巻き込みたかったのかは、作中で明らかにされなかったと思う。
だが、MWの事故のたった二人の生き残りとして、彼の望む地獄の未来の目撃者(あるいは共犯者)として、精神的に必要な存在だったのではないかと想像する。
「健康」な生存者である彼への嫉妬もあったかもしれない。
とにかく、結城が賀来に対して「愛」と呼ぶべき特別な感情を持っていたことは間違いないように思われる。

対して、賀来の方はどうかと言うと、こちらは単に肉体的・性的快楽を前提にした感情(というか衝動)しか見えてこない。
結城の罪を黙っていることへの良心の呵責や、澄子を奪われた怒り・嫉妬、神への背徳心、とにかく彼は作中で苦しみまくる。
しかし、結局結城との関係を断ち切れないのは、彼の性的魅力に負けてしまうからだ。
そもそも、MWの事故の時の最初のきっかけからしてそうだった。
そして、抱えているそれらの苦しみは、どこまでいっても「自分のこと」なのだ。
「結城が救われる」だの「あの事故のせいで狂ってしまった」だの、思いやるような素振りを見せる半面、その実、常識を取っ払って結城を理解しようという姿勢は端から放棄している。

 

以上まとめると、MWとは、大いなる失恋を描いた作品のように思える。

この記事を書くに当たって、「愛」について調べたところ、「愛」には6種類あるらしい。
その分類に則ってまとめるなら、賀来から結城はエロス、結城から賀来に対してはストロゲーとなる気がする。
エロスとは、要するに性愛のようなもので、性的快楽の共有を独占したいという排他的な側面を持っている。
一方のストロゲーは、友愛と呼ばれるようなもので、信頼や親近感など精神的な繋がりを前提としている。
結城は、他者からエロスを引き出して、それを巧みに利用する。
賀来は、それにまんまと引っかかった最初の一人であり、結城のストロゲーは決して報われることはない。
歪んだ結城のそれは、相手を苦悩させて離れられなくする方向に働いていく。
何とも悲しい失恋である。

 

ネタバレを防ぐためにも詳しくは書かないが、この作品は先の繋がりに含みを持たせる形でラストを迎える。
この後に、どのようなストーリーが展開されるのか。
僕には、絶望的な未来しか見えない。