童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

血統への嫌悪感

少し時期を逃してしまった気もするが、下記の件に対して自分が過剰に反応していることに気が付いたので、その原因に関する考察を記事として残しておこうと思う。

headlines.yahoo.co.jp

先日、戸籍の一部を公開することで、いわゆる「二重国籍」問題に関する疑惑を払拭するという発表があった。
一連のやりとりの中で飛び出した「差別主義に屈しない」とか「多様性の象徴」といった発言が注目を集めて、SNS上でも、賛否両論、様々な議論を巻き起こす結果となった。

僕自身は、これまで蓮舫氏を強く支持していたことはないし、昨今の民進党に対しては言いたいことが沢山ある。
しかし、ことこの件に関しては、完全に彼女の主張に理があると感じている。
それだけでなく、この一件について彼女を叩いているツイートを見ると嫌悪感すら覚える。
この話題を仕事場で出した際、「でも外国人が国益を守るために働けるか」云々という同僚の発言に対して、柄にもなく強い調子で反論してしまった。
普段、特定のニュースに対してここまで激しく反応することは珍しいので、僕自身、驚いていた。

しばらくその理由が分からなかったのだが、以下のブログを読んで納得した。
僕は、多分、「血」を重んじる考え方に強い抵抗感があるのだ。

hibi.hatenadiary.jp

僕は、「血」を介した繋がりに対して懐疑的な印象を持っている。
もちろん否定するつもりはないけれども、特別重要だとは全く思わない。

そう考える一つの原因は、以前の記事にまとめたように、母との関係にある。
血の繋がらない僕を今の今まで育ててきた母が、世のいわゆる「普通の母親」に対して劣っているとは決して思わない。
もう一つは、やはり別の記事にまとめたように、父と姉のことがある。
血が繋がっているはずなのに、父に対して不義理を続ける姉。
「血」に絶対的な力などないことを、僕は実感を伴って知っている。
そして、僕自身が無性愛者で、将来に亘って血を繋いでいく可能性がないことも関係しているだろう。
ただし、これについては原因と結果が逆で、「血」を重要視しないからこそ無性愛者なのかもしれない。

いずれにしろ、「血」にまつわることは、僕のアイデンティティの問題に深く根ざしている。
だからこそ、「血」を必要以上に重んじる血統という考え方に対して、ほとんど反射的と言って良いほどの嫌悪感というか気持ち悪さを感じてしまうのだ。
ただ、もしかしたらその気持ちは、逆に僕自身が「血」に必要以上にこだわっていることの証拠なのかもしれない、とも思う。
姉や実母方の親族のこともあって、僕が自分の「血」を呪わしく感じている部分があることは否定できない。
それだけに、やはり僕は「血統」を認めるわけにはいかないのだ。

凄惨な事件の加害者家族に対して向けられる視線や、外国人力士が活躍することへの風当たり、古くは部落の問題、そして今回の蓮舫氏の一件。
全てに、この「血統」が潜んでいるような気がする。
それだけで片付けられない問題であることは理解した上で、それでも、やはり僕は少しでもその匂いがするものには反応せざるを得ない。
「血」は、いずれ大したものではないし、逆に「血」を同じくしなくても素晴らしいものは素晴らしいのだ。
帰属意識を不必要に刺激して数の暴力と結びつきやすい「血統」は、どうしたって差別主義に変化しやすい。
つまらないものにこだわらずに、息のしやすい社会になることを願ってやまない。