数年前から僕が唱え続けている排泄理論についてまとめておきたい。
排泄理論とは何か。
簡単に言ってしまえば、全ての「気持ちよさ」は、詰まるところ排泄に通じるのではないか、という考えだ。
誰しも、大にしろ小にしろ、トイレで体から老廃物を排出することは快感だろう。
鼻くそをほじる、ヘソのごまをとる、爪を切る、さらには散髪や髭剃りまで、程度の差こそあれ、排泄に関係することは、どれも快感を感じる行為だと思う。
何なら他人の排泄でも良い。
僕だけかもしれないが、人の耳掃除とかカタツムリの脱糞の動画を見ると不思議なカタルシスがある。
つまり、「排泄行為は気持ちいい」という命題は真であろう。
僕の唱える排泄理論とは、この命題の逆である。
「気持ちいい」は、結局のところ排泄と関係するのではないか。
こんなことを考え始めたのには、きっかけがある。
僕も男子の端くれなので、週に1~2回、自慰行為をする。
ただ、何度もこのブログでも書いているように、僕の場合、男性にしろ女性にしろ、誰かと性的関係を結びたいという欲望がない。
とすれば、その行為はただただ排泄以外の意味がない。
だけれども、男性の場合、そもそもセックスの後は生殖に直接的には関わらないし、要は排泄なのではないか。
つまり、結局性欲って排泄欲なんじゃ、と思ったのだ。
もう一つ、僕には同性愛者の後輩がいるのだが、彼は割と奔放な性生活を営んでいて、時折「自分は性欲が強い」という旨の発言をする。
決して差別のつもりでなく書くけれども、僕はいつもこの発言を聞くと違和感がある。
同性愛で性欲とはこれ如何に。
やっぱり性欲の本質は排泄にあるのではないか。
では、女性の場合はどうか。
女性が性的快感を感じるのは、むしろ排泄とは逆の行為のようにも思える。
だけれども、女性の場合、性行為の先に人間が可能な最上位の排泄、出産がある。
これまでもこれから先も僕が経験することはないけれども、出産とはおそらく最大級の快感なのではないかと想像する。
実際、出産した方から「体の悪いもん全部出てった気がした」というような感想を聞くと、陣痛やお産の苦しみを差し引いてもさぞかし…と無責任にも考えてしまう。
こう考えると、女性のセックス時の気持ちよさは、その先にある出産を見越しての快感なのかもしれない。
女性になって性的快感を味わったことがないので何とも言えないのだが、やっぱりにわかには信じられないのだ。
外から異物を入れられて、しかもさらに中で何かを注入される行為が気持ちいいだなんて。
その先に排泄があるか否か。
ここまで含めるのはちょっと卑怯な気もするが、そうすると、例えば「食べる」という行為の気持ちよさも説明できる。
一方で、注射の不快感は、自然な排泄が想定されていないから当然ということになるだろう。
まだ数年前に何となく思い始めて、飲みの席の馬鹿な話として適当に話しているに過ぎない。
でも、結構そうかもと思っている。
一応断っておくが、僕は、理学系のしかも人間とはまるで関係のない分野で学位を取得した人間である。
したがって、この理論についても、大して勉強もせず適当なことを言っているに過ぎないし、何の学術的根拠もない。
この記事を書きながら思ったのだが、睡眠の気持ちよさは排泄理論では説明できないかもしれない。
とすると、人間の三大欲求と呼ばれるもののうち、食欲と性欲は排泄理論で説明可能だけれども睡眠欲は説明できない。
つまり、人間の欲求は排泄欲と睡眠欲で代表される?
…などとまたいい加減なことを考え始めてしまった。