童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2024年1月31日

少し前に、学会で昔の知り合いにあった時に、開口一番「老けた?」と聞かれた。
まあ、それなりに年は重ねているし、そろそろ40も見えてきたので仕方ないのだけれど、お前だって同じくらいの歳だろうと少しムッとしてしまった。
そして、さらに追い打ちをかけるように「結婚しないの?」と聞いてきた。
その知り合いは、5年くらい前に職場の人と結婚して、そこそこ幸せに暮らしているらしい。
馴染みがあるとは言え何て不躾なやつだろうと思いながら、適当に相槌を打っていた。

この知り合いはかなり失礼な部類に入るけれど、程度の差こそあれ、この手の疑問をぶつけられることは少なくない。
その度に何だかモヤモヤしながら、適当にその場の気分で答えている。
が、このモヤモヤの正体はいったい何なのだろう。
別に結婚を羨んでいるわけではない…と思う。
だって結婚したい人もいないし、誰かと暮らしたいとも思っていない。
仕事はそこそこやりがいがあるし、適度に役に立っているという手応えも感じられる。
プライベートだって映画だのライブだのスキーだの、それなりに忙しく遊んでいる。
誰かを羨み妬むほど、現状に不満があるわけではない。
それならどうして、いちいち彼らの言葉に逆撫でられている気がするのか。

「未婚であることは不幸である」という、ある種の偏見が見え隠れするところに問題の本質がある気がする。
つまり「結婚しないの?」という問いには、「それなりの年齢になったら結婚して家庭を持つべき」という思想が背景に隠れている。
あるいは、「未婚のまま年老いていくのは不自然であるし、不幸で惨めなことである」という認識である。
要するに、可哀想に思われているわけだ。
僕はちっとも不幸じゃないのに、勝手に不幸だと誤解されている。
そのことが何とも腹立たしい。

結婚は全然したくないけれど、離婚をしたい。
離婚していれば勝手に相手が気を遣ってくれる。

こんなことを良く考えていた時期もあった。
割と感覚が近い友人は賛同してくれていた。
というか、結婚だって離婚だって、本来同じくらい気を遣うべき私的な話題である。
人と話をする上で完全なストレスフリーはありえないけれど、こと結婚云々に関わる話題については、早く価値観がアップデートされて欲しいと願っている。