童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2024年6月11日

最近、仕事場の後輩が子猫を飼い始めた。
仕事場の近くで鳴いていて保護された猫で、引き取り手がいなかったところを、その後輩が手を挙げた形だ。
今月末でペット可物件に引っ越すことも決まっていて、今は実家に預けたり仕事場に連れてきたり、変則的な飼い方をしている。

一人暮らしで生き物を飼い始められる勇気が羨ましい。
別に何か飼いたいという欲求があるわけではないが、仮にあったとしても育てられる自信がない。
良く使われるフレーズだが、自分の面倒もろくに見られていないのに、自分の行動で生き死にが決まるような責任を負えると到底思えない。
もしかすると、自分のことでなければ、案外ちゃんとできるのかも知れない。
ただ、それを試してみるにも、やっぱり生命は重すぎる。

実家にいた頃は、生き物を飼っていた時期もあった。
高校生の頃に文鳥を飼っていて、結構大事にしていた。
メスの白文鳥を1羽で飼っていて、時期になると一生懸命巣作りして卵を産む姿がいじらしかった。
それが、ちょうど浪人をしていた年末に、宅配便が来たほんの少しの隙をついて玄関から外へ飛び出してしまった。
その年がちょうど酉年で、干支が変わるのと同時に飛び去ってしまったことが忘れられない。
もう見つからないとなった時、悲しみに暮れながら餅を切ったのを良く覚えている。
悲しいと思うと同時に、とんでもないことをしてしまったという反省がこびりついて離れない。
両親はその後も寂しかったのか何羽か鳥を飼っていたが、僕自身は、自発的に飼おうとは思えなくなった。

それでも、後輩が連れて来ている子猫を抱かせてもらって、その高い体温を感じていると、庇護欲というか愛でる心というか情というか、そういうものが湧いてくるから不思議だ。
実際に踏み出すまではいかないまでも、どこか羨ましいと思っている自分を否定できない。
結果を想像すると、危険な兆候だろう。
自分の心なのに、ままならないことばかりで嫌になる。