童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

フュリオサ

興奮し過ぎて、公開初日含めてこの1週間の間に2回も観に行ってしまった。
大傑作「マッドマックス 怒りのデスロード」で強烈なインパクトを残した、孤高の女将軍フュリオサ。
怒りのデスロードへと続く彼女の前日譚「フュリオサ」が、満を持して公開された。


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実は前作公開中最も盛り上がっていた頃には観ていなくて、復活上映か何かのタイミングで友人に連れて行かれたのが最初だった。
頭を撃ち抜かれるような衝撃。
爽快感すら感じる狂気のアクションシーン、キャッチーでノイジーでカオティックな美術と世界観、単純かつ明快でも重厚なストーリー。
どれをとっても最高で、どこかで上映されるという話を聞く度に自分のスケジュールを確認するくらいにはハマってしまった。

そんな作品の前日譚がスクリーンに帰ってくるということで、否が応にも期待してしまう。
1ヶ月ほど前には、僕を悪の道に引きづり込んだ友人が公開1ヶ月前記念イベントに誘ってくれていたりして、気分は盛り上がるばかりだった。
そして、ついに公開。
友人たちと約束して、初日にIMAX上映をキメてきた。

一言でまとめるなら、今回も素晴らしかった。
前作を超える衝撃だったかと言われると、あまりにも前作の出来が良過ぎたために即答はできないが、それでも傑作であることは間違いない。
ストーリー部分に関わることを感想として残そうと思うので、気になる方はこの先は読まないで欲しい。

 

前作と同様、マッドマックスが素晴らしいと思うのは、そのストーリーの明快さと骨太さ。
前作は、まさに「行って帰ってくる」話だった。
怒涛のように続くウォータンクとバイク/車の戦闘シーンも、ニュクスの恋も、基盤のストーリーがブレないので観客が迷子になることはない。
今回のストーリーもまさにシンプルで、一言でまとめるならば「仇討ち」の話と言えるだろう。
ただ、個人的にはそれだけでなくて、「親殺し」の物語にもなっていると思っている。

本作を語る上で絶対に外せないキャラクターが、ディメンタスだろう。
彼こそ、幼いフュリオサを拐かし、彼女の目の前で母親を惨殺した張本人。
まさに「仇」である。
しかし、彼は、フュリオサにリトルDという名を与えて、行動を共にするようになる。
確かに、フュリオサの故郷である「緑の地」への案内人として残しておいた部分もあろうが、それ以上に、擬似親子的な絆を彼が感じていたことは間違いない。
もちろんフュリオサは、彼のことを父とは全く思っていないだろうが、結果として彼女の人生や思想に絶対的な影響を与えている。
彼女の生殺与奪の権を握っていた時期もあり、広義の父娘と呼べないだろうか。
その歪な親子関係の象徴こそが、あのテディベアだったのではあるまいか。

そう考えると、今回の話は激しい反抗とその末の親殺し、とまとめられる。
古今東西、成長をテーマにした作品は、親殺し(そのままの意味でも象徴としても)が描かれることが多い。
子どもにとって親は神に等しい存在であるが、成長とともに自らの世界が構築されて、やがて神を打ち破るものになっていく。
本作は、フュリオサがフュリオサとなるまでの、まさに成長を描いた作品。
その意味でも、王道のストーリーと言って良いと思う。

そう思って本作を見ていると、とてもリアリティを感じてしまう。
若かりし頃、絶対的カリスマとして振る舞っていたディメンタス将軍が、やがて衰えていく。
焦って失敗をし、当たり散らし、醜く逃げ惑う。
かつてあれほど恐ろしかったはずの父が、いつの間にか小さくつまらないものに変わっている。
程度の差こそあれ、誰しもがさまざまな形で経験する1シーンだろう。

 

前作ではイモータン・ジョーという絶対君主が、敵役として君臨していたわけだが、彼も本作に登場する。
ディメンタス将軍と敵対するフュリオサは、形式上イモータンの配下となる。
イモータンとディメンタス、この二人のヴィランのぶつかり合いも、まさに王道中の王道だった。

君主制 vs 共和制。
スターウォーズの例を出すまでもなく、ガンダムにしろ銀河英雄伝説にしろ、古今東西みんな大好きなテーマである。
イモータン・ジョーが絶対的な王であるのに対して、ディメンタス将軍は、選挙こそないもののある程度地方自治を認めて民意を汲んでいる節がある。
ディメンタスが砦に雪崩れ込んでイモータンに喧嘩を売るシーンは、まさにその構図。
拡声器というメディアを使ってのアジテーションは、両陣営を見事に象徴していた。

しかし、王道の構図ではあるものの、どちらかを良きものとして描かないところが何とも現代的だ。
共和制だからと言って民衆は幸せにならないし、何なら将軍のカリスマが衰えてくると、民意の暴走によってすぐ瓦解していく脆弱性を見せる。
今、世界のあちこちで民主主義の限界が見え始めている。
おそらくジョージ・ミラー監督には、世界がこんな風に見えているのではないかと想像する。
かと言って、彼が君主制を支持しているわけでないことは、前作を見れば明らかだ。
前作から9年が経ち、その間に起こった世界の変化がしっかりと織り込まれていた。

 

今回は、作品のテーマについて感じたことを中心にまとめてみた。
しかし、そんなことを全然気にしなくても、頭を空っぽにして楽しめるのが、本作の良いところだ。
美術や音楽、アクション、演技を見るためだけでも、劇場に足を運ぶ価値がある。
なるべく多くの人に、なるべく大きな画面となるべく良い音響でキメてきて欲しい。
きっと、後悔はしないはずだ。