童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2024年6月7日

今日は午後に休みを取り、電車に乗って先日申請したビザの受け取りに行ってきた。
金曜の遅い時間だったために会場は大混雑。
受け取るだけでも80人以上が待っている状態で、想定より時間がかかってしまった。
それでも何とか無事に受け取って帰宅しようと思ったのだが、それがちょうど多くの人の退勤時間と重なった。
公共の乗り物に、普段あまり目にすることのないスーツを着た面々が乗り込んで運ばれていく。
久しく観ていなかった光景に、改めて特殊な職業に就いているなと実感してしまった。

そもそも、17時や18時に揃って帰宅する意味が良く分からなかった。
自分だって、高校生くらいの頃は何の疑問も持たずにそうしていたはずだが、こんなにも混雑することが分かっていて、どうして同じ時間帯に帰るのだろう。
そして、全員がスーツを着ている様子も異様に感じられた。
研究者は、分野にもよるだろうが、基本的に服装自由で多少ちゃんとする時もジャケット一枚で済んでしまう。
自分も普段からラフな格好ばかりしている。
それに目が慣れてしまって、あれだけの人数がほぼほぼ同じ格好をしているのは、新鮮というより恐怖に近い感覚があった。
ちょうど今、ジョージ・オーウェルの「1984」を読んでいるから余計に思ったのかも知れない。

何だか小馬鹿にしたような書き方になってしまって良くないのだが、むしろ自分は、彼らを羨ましいと思っている節がある。
僕は、向こう側になれなかった人間だから。
スーツに身を包んで、ハキハキと挨拶をして働き、粛々と納税していくような。
満員電車にも負けない体力で、愛する家族を当たり前に背負い、社会の再生産に貢献できるような。
そんな社会的に必要とされる真っ当な人間には、多分なれなかった。
おそらく向こう側の方が、金は稼げたはずだった。
ただ、それよりも自由度を優先した、いや優先せざるを得なかった、ということだろう。
自覚としては、流されるままに研究業界に残ってしまったと思っていたが、無意識下で自分の居場所たり得る環境を選択していたのかも知れない。