童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2024年8月19日

お盆休みは、実家に帰ったのと友達と出かけた以外の時間は、ほぼ論文を書くのに費やした。
現在、書き物の仕事がかなり集中している。
科研費の書類もあるし、学会発表用のポスターも作らねばならない。
今まで先延ばしにしていたものが締切を前にして急に渋滞し始めただけで、全ては自分のタスク管理の問題なのだが、やはり疲弊していしまう。

その中で言うと、論文は、個人的な締切を設けているだけで、本来最も軽いはずのものだった。
ただ、共同研究者とかなり前から準備をしていたもので、ほとんど書くだけになっていたものだった。
これ以上先方を待たせるのは忍びなかったし、お盆休みくらいしかまとまった時間が取れないのも分かっていた。
おかげさまで、ほぼほぼ書き上げることができて、明日にでも残りの部分を追加して共著者たちに送ってしまいたいと思っている。

今回、論文の書き方を少し変えてみた。
いつも論文を書くときは、大体以下の順番で進める。

まず粗い論文のメモを作り、その後に図を作る。
図が固まったところで、もう少し詳しめにメモを作って、日本語の原稿を書いてみる。
和文の原稿で推敲をした後に、英語に直す。

どうしても日本語が母語なので、頭の中を整理したり論理を組み立てる時には、どうしたって日本語になる。
だから、少なくとも論文の構成を考える時には、日本語で行わざるを得ない。
ただ、そこから全て日本語にして一旦完成させる必要があるか、と言うとそんなことはないと思っていた。
前段階のメモで骨格がある程度出来上がっていれば、いきなり英語でも問題はない気がしていた。

ということで、今回は日本語版の原稿を作る部分を省いて、いきなり英語の原稿を書いてみた。
時間短縮になったような気はするが、果たして出来映えはどうか。
共著者たちの反応が気になる。
ただ、実は日本語原稿を作る大きなメリットの一つは、日本人の共著者に内容を確認してもらいやすいこと。
英語の原稿を渡して、日本語の時と同じレベルのコメントをもらうのは、実は難しいかも知れない。
とすると、自分では気づけないような出来映えの変化が、そのままスルーされることになってしまう。
時間が許すなら、やはり日本語の原稿は作るべきなのかも知れない。