童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2023年9月14日

次の連休に、友人の結婚式に参加することになっている。

率直に言って、僕は結婚式が嫌いだ。
別に祝いたい気持ちがないわけではない。
結婚そのものは喜ばしいことだし、幸せになって欲しいし、お祝いだってしたいと思う。
でも「式」となると、何だか画一的な幸せの形を押し付けられている感じがして、辟易するのだ。

例えばブーケトス。

後ろを向いて新婦が投げたブーケをキャッチする謎の儀式。
なぜ独身者ばかりが集められて、次に結婚できるのは…みたいな見せ物にさせられるのか。
結婚していないことはイコール不幸なのか?
次はあなたの番みたいな押し付けがましさに、いつも余計なお世話と感じてしまう。

例えばファーストバイト

入刀して切り分けたケーキを食べさせ合う、アレだ。
良く説明される謂れに強烈な違和感がある。
新郎から新婦へ食べさせるのには「食べるものに困らせない」
新婦から新郎へ食べさせるのには「美味しい食事を用意する」
と言う意味があるそうだ。
初めて聞いた時に、吐き気が込み上げたことを覚えている。
誰が決めたんだ!
そもそも、ケーキ入刀からして意味が分からない。
なぜその様子を写真に収めないといけないのか。
切り分けてくれるなら小皿を持って集まるのが正解だろう。

例えば花嫁の手紙。

シンプルに、お家でやってほしい。
大体新婦が声を詰まらせて、後半聞き取れなくなる。
新郎側の友人や同僚で参列することが多いので、チャンネル回してたら連続ドラマの山場にたまたま当たった感がすごい。

こんな風に内心思っていても、表面上は笑顔を貼り付けて、愛想良く振る舞わなければならない。
高いお金を払って芸者にならなければらない。
願わくば、お金だけ払うので、別の機会に個人的にお祝いさせてもらえないか、といつも思ってしまう。

そうは言いつつ参加しないわけにはいかないので、式服と革靴を引っ張り出して干しながら、銀行でピン札に変えてきたなけなしの3万円を祝儀袋に詰めている。
筆ペンで名前を書きながらふと、結婚式に行くための準備をすること自体は別に嫌いではないかもと感じている自分に気が付いた。
一応、祝いたい気持ちに嘘はないようだ。