童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2023年9月28日

僕は、ほぼ一人っ子で育ったせいか、一人でアレコレするのは特に苦にならないタイプだ。
一人レストラン、一人水族館、一人旅、どれも余裕でこなせる。
興味がないからやっていないだけで、一人遊園地や一人焼き肉も多分できる。

そんなわけで、今日も今日とて一人で寿司屋に行って食ってきたのだが、その時珍しくちょっとした不都合があった。

大抵の場合、一人〇〇は自由度が増える方向で楽しいものだ。
一緒に行った人に気を遣って頼むものを選ぶ必要がないし、好きなタイミングで好きなものを好きなだけ食べられる。
メニューを独占して好きなだけ悩める。
自分の場合、寿司屋では、寿司そのものよりサイドメニューの厚焼き卵だの茶碗蒸しだのあら汁だの頼みがちで、今日だって寿司は結局3貫しか食べなかった。
他人と行っていればサイドメニューを分け合って、もう少し色んな寿司を食べられたかも知れない。
が、別にそこに後悔はない。

今日は、大きめのショッピングモールの中に展開している寿司屋に行ってきたのだが、入って最初の注文をした段階で気が付いた。
財布を車に忘れてきたことに。
スマホは持っていたので、おそらく支払いはできるだろう。
けれど、ショッピングモールのポイントカードは財布に入っている。
しかし、一人で来ている以上、席を離れて駐車場まで行くのはいかがなものだろうか…
悩んだ結果、スマホを座席に置いて人質(?)にすることで店外へ出ても良いか店員さんに打診することにした。

結果としてはそれでOKだったのだが、その時ちょっと気になったのは催した時のことだ。
大抵ショッピングモールに入っているタイプのレストランは、店外にトイレが設置されている。
一人で来た場合、催すたびに何か金目のものを席に置いて離れないといけないのか?
ちょっとそれは困るかも…と珍しく一人〇〇の不自由さを感じてしまった。
確かに、一人で新幹線に乗っていてトイレに行く時も、荷物を座席に置いて行くかどうか悩んだりする。
昔、バンクーバーで朝イチの便に乗るために空港のロビーで夜を明かしたとき、向かいの席の初対面の外国人から、トイレに行く間荷物を見張っていてくれと頼まれたことがあった。
あのマインドでいられれば、もう少し自由になれるのかも知れない。
自由/不自由さと性善/性悪説の間には、強い相関があるように思う。