童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2024年2月6日

なんちゃってで日記をつけるようになって、困っていることが一つある。
身の回りで起きたことや鑑賞物なんかを素材にして日記を書いているわけだけれど、そうするとあまりにもリアルの生活に密着し過ぎて、うっかりするとすぐ特定されてしまう。
匿名であることを担保に、なるべく嘘を吐かないで思ったことを書いていこうと思って始めたこのブログ。
身バレはその前提を崩すもので、あってはならないことだと思っている。
既にかなり赤裸々に書いてきたこともあって、職場や親族の誰かに読まれて特定でもされようものなら、恥ずかし過ぎて失踪しかねない。

特定を防ごうと思うと、住んでいる地域に根ざしたことや普段のSNSで呟いたこと、職場で見聞きしたことをそのまま書くわけにはいかなくなる。
ぼかして書けば良いのかもしれないが、どこまでぼかせば十分なのか、いまいち分からない。
嘘をついてしまえが楽だけど、そうなってしまったら本末転倒である。
その日あったことを新鮮に書こうと思うと具体的に書けず、余計な気を遣ってしまってなかなか筆が進まない。
仕方のないこととは言え、多少ジレンマを感じている。

どうしてこんなに、バレたくないのだろう。
例えば、僕には同性愛者的な側面が多分にあるけれど、その部分が嫌なのか?
正直、友人は薄々勘づいているだろうし、職場の人も何となくそう思っている気がする。
ので、彼らに知られるのはそんなに嫌ではない。
けれど、両親に知られるのだけは心の底から嫌だ。
父親が同性愛者を気持ち悪く思っていることは知っているし、口に出さなくてもどこかで孫を求めているだろうことは分かるので、その可能性を潰すようなことは言いたくない。

欺瞞だと言われたらそうかも知れない。
あるいは、同性愛は罪であるという僕自身の中の差別主義の表れなのかも知れない。
でも、多分この世の被差別者のほとんどはそうなんじゃないか、とも思う。
多くの被差別者は、心の中に差別主義者を飼っていて、その仮想敵にずっと苦しめられている。
気持ち悪い、不毛、恥ずかしい、哀れ…
僕の中の差別主義者が、僕自身に向かって詰ったり嘲ったり蔑んだりしてくる。
リアルの差別主義者が罪深いのは、心の中の声が実体を伴って現れることで拡声されてしまうこと。
少し前に某自民党議員が「生産性がない」という言葉を使って大炎上したけれど、あの言葉は、まさに僕が僕自身に放っていた言葉の一つだった。
そんな風に思うことは間違っているのは分かっていても、なかなか止めることができない。

身バレ問題はなかなか根が深く、容易には解決されそうもない。
しばらくは、気を遣いつつ日記らしきものを書き続けるしかない。
そもそも今までだって、そんなにきちんと対策できていたかどうか怪しい。
もし気づいてしまった方がいたとても、どうかリアルの僕には教えてくれないで欲しい。