「夜は短し歩けよ乙女」を観に行ってきた。
元々、森見登美彦氏の作品が大好きで、制作決定の報せを受けてから、ずっと楽しみに待っていた。
森見作品で人間が主人公のものは、童貞こじらせて自意識こねくりまわしているようなのが多いので、共鳴するところが多かったのだろう。
個人的には「太陽の塔」が最も好き、というか肌に合う。
時系列では多分「太陽の塔」、「四畳半神話大系」、「夜は短し歩けよ乙女」の順だったと思うが、作品を重ねるごとに読みやすくなっていった印象がある半面、独特の鬱屈具合は薄れていった感があった。
「四畳半神話大系」は、アニメ版も素晴らしくて、ポップさと理屈っぽさの同居が夢のような世界観で実現していることに感動したのを覚えている。
今回はそのアニメ版と同じスタッフということで、同様の体験ができるのでは、と非常に期待していた。
そして、その期待は叶えられたように思う。
とにかくありとあらゆる要素が高度に混ざりあっていたと思う。
青春コメディでありながら、メロドラマであり、ロードムービーであり、おとぎ話であり、サスペンスであり、ミュージカルであり、アングラ演劇であり、禅問答でもあった。
映画自体が、アミューズメントパークのような感じと言ったらよいのだろうか。
ありとあらゆるアトラクションが、ジェットコースターよろしく、物凄いスピード感とテンポでもって展開されていく。
独特の早口な長台詞と相まって、脳が追い付かないような気分にさせられた。
本作の大きなテーマの一つは「時間」だ。
一晩の出来事が、まるで一年のようでもあり、一つの人生のようでもある。
映画もまさに同じで、90分程度の作品だが、内容の濃さからいけば何十時間のようにも感じるし、流れの速さからいけば数分のようにも感じられた。
それぞれのキャラクターがそれぞれの速度の時計を持っている描写は、内容は大分異なるが、ミヒャエル・エンデの「モモ」に通じるものがある。
そういった意味では、ある種の寓話としても非常に質の高い作品だったと思う。
それにしても、「四畳半神話大系」の時にも思ったことだが、湯浅監督と森見作品の親和性の高さと言ったらない。
ちょっと毒のある色遣いで描かれた、悪夢のようでいてどこまでもポップな世界観が、他の想像の可能性を喰ってしまうようにバッチリ作品と合っている。
作品を観ながら、ちょっとグロテスクな印象のある独特の絵作りは、実はティム・バートン監督とかテリー・ギリアム監督、ジャン=ピエール・ジュネ監督とかに通じるものがあるかもしれないと思っていた。
でも、その中で強烈に思い出した作品がある。
プーさんの「ズオウとヒイタチ」だ。
子供の頃によく観ていたのだけども、割とトラウマのように僕の中に残っている映像の一つだ。
何なら、この作品のせいで少しゾウに恐怖のイメージを持っている節さえある。
本作を観ながら、これを観ていた時と同じような感覚が、少なくとも僕にはあった。
しかも、西洋的なイメージのあった毒のある映像が、京都を舞台にまさに日本的に昇華されたものとして提示されたところが素晴らしい。
乙女の噂話が木屋町を駆けていくときに、尾ひれがついて魑魅魍魎が襲い掛かるイメージに化けていくところなんて、まさにそんな感じ。
今後も是非、湯浅監督の作品には注目していきたい。
(今度、早速オリジナル作品が公開されるようだし)
ちなみに、小ネタとして、乙女の過去の読み本の中に川原泉さんの「笑う大天使」があったこと、ゲリラ演劇「偏屈王」の最初の曲がQueenのボヘミアン・ラプソディをオマージュしていたところが個人的には刺さった。
観た日の前日にちょうどPentatonixの動画を観ていたというのもあり、運命を感じてしまったのかも知れない。
「笑う大天使」は実家にあったはずなので、今度帰った時に読み直したい。