童貞見聞録

アラサー超えてアラフォーのセクシャルマイノリティ童貞野郎が心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつけるブログ

2024年4月1日

新年度に入って1日目。
あちこちバタバタ駆けずり回った一日だった。
何だか喉も痛くて、そろそろ体に限界がきているのかも知れない。

それはそうと、数日前に「DUNE 砂の惑星 Part 2」を観てきた。


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オッペンハイマー」が公開されればきっと上映回数も減って、特にIMAXでは観られなくなるのではないかという危機感もあり、無理してレイトショーに行ってきた。
Part 1もIMAXで観ていたし、先に行った同僚からもIMAXがオススメだと言われていたので。

実は、Part 1、それほど刺さってはいなかった。
すごい映像だとは思ったものの、ずっと茶色の画面が続くし、飽きに近いような疲れがあった。
世界観を理解するのに必死で、素直に映画を楽しむ余裕がなかった、とも言えるかも知れない。
そこへ来ての第2作。
惰性に近い気持ちで観に行ったけれど、なかなかどうして面白かった。
Part 1の乗れなさは一体何だったのだろう。
音楽も映像もストーリーも。
しっかり興奮しながら3時間近くを走り抜けられた。

思い返してみれば、「ロード・オブ・ザ・リング」の時もそうだった。
第1作「旅の仲間」は、説明に近くて何だかあまり乗れなかったが、第2、3作は夢中で観ていた。
王の帰還」に至っては4回くらい劇場に観に行った気がする。
DUNEも指輪物語同様、古典的長編ファンタジー作品の実写映画化。
世界観が特徴的なシリーズ作品において、種まきになる第1作は、ちょっとまだるっこしくなる運命なのかも知れない。

いずれにしろ、Part 2に結構ハマってしまった。
DUNEが何部作になるのか分からないが、間違いなく次も映画館に行くことになるだろう。
当然、IMAXで。

2024年3月31日

今年度が終わろうとしている。
結局、年度最終日だと言うのに朝から出勤して夜まで働いてしまった。
明日から新年度1日目の勤務日らしいが、全く節目は感じられない。

が、実はこの年度で同僚たちは何名か入れ替わりがあった。
他の研究機関へ移る人もいるし、新規採用などで入ってくる人もいる。
退職する人もいるし、昇任する人もいる。
新年度から執行部の顔ぶれも変わるようなので、割と変化は大きいかも知れない。
落ち着いているようで何となく慣れないふわふわした感じは、何とも春らしい。

思い返してみると、今まで春にガラッと環境が変わった時に、うまく馴染めたということがほとんどなかった気がする。
小学校に上がった時は、両親の再婚に伴っていきなりやってきた土地だったので、誰も知らないところからのスタート。
引っ込み思案な性格もあって、なかなか友達はできなかった。
中学では、もう思い出したくもない、苦難の日々。
学校では嫌がらせをされ、家に帰ったら着替えて母親の入院する病院に通っていた。
高校では、中学とは打って変わってぬるま湯のような学校の雰囲気に面食らって、うまくギアチェンジできなかった。
結局1年間違和感は続いて、クラスが変わった2年の時に、ようやく楽しいと思えるようになった。
大学では、最初のオリエンテーションで周りの人間に失望し、適当に表面上は仲良くしていたけれど、その時に知り合って今も連絡を取っている人は一人もいない。
こうやって考えてみると、今の職場は比較的うまく行ったほうかも知れない。
ある程度知っている場所だったと言うこともあるけれど、周りの同僚の方々に恵まれたと思う。

いつも思うのだが、「自分」は、他者や環境によって作られるものだろう。
家族と話している時の「自分」、友人と遊んでいる時の「自分」、職場での「自分」。
似ている部分はあっても、全部異なっている。
それで当然だし、自然なことだと思う。
けれど、新しい環境に身を投じた時、一時的に「自分」が見失われる。
周りに合わせて、手探りで「自分」を作っていかねばならない。
きっと今までの失敗は、焦って作った急拵えの「自分」が、気に入らなかったからなのだろう。

多分この先も、似たような環境の変化は何度も起きるに違いない。
そしてその度に、「自分」をモデルチェンジしていかないといけない。
そもそも、誰かと話す時、どこかで話す時、それぞれに「自分」は変わっていく。
僕にできることは、どの「自分」が好ましいと思えるか、を判断することくらいだ。
好ましいと思えない「自分」が現れる相手とは、多分距離を取ったほうが良い。
そう言うことに気づけるようになるのに、だいぶ時間が経ってしまった。

ゴールド・ボーイ

多忙週間に入って時間の余裕なんて全くなくなるかと思ったけれど、今日は色々な人が協力してくれたおかげで、予定より割と早く終わった。
と言うことで、しばらく映画館に行っていなかったので、出かけることに。
本当はDUNEを観に行こうと思っていたのだが、調べると気になっていた「ゴールド・ボーイ」の上映回数がだいぶ減っていて、そちらを優先することにした。


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ドラマ化もされた中国の小説を原作に、日本版へリメイク。
沖縄を舞台に、とある連続殺人事件の犯人とそれに強請をかける少年たちというクライムサスペンスとなっている。
端的に言って、とても面白かった。
映画やドラマなど、俳優の演技が好きな人ほど、多分この映画が刺さるはず。
そういう作りになっている。

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2024年3月24日

出張から休む間もなく実験漬けで、明日からは本務が忙しくなる。
ようやく書けていなかった日記をつけている。

とりあえず、出張中の話を。
かつて職場でお世話になっていた方が別の研究機関に移られたので、少しお勉強のためにお邪魔してきた。
仕事的にはかなり得るものが多かったし、装置立上げに参加して少しは手助けもできたような気がする。
祝日も付き合わせて働くことになってしまって、少し申し訳なかった。

さて、祝日の前日の夜に酒席を準備してもらって楽しく飲ませて頂いたのだが、その流れで生まれて初めてスナックに行ってきた。
妙齢のお姉さんに名前とラインアカウントだけ書かれている名刺をもらってしまった。
今まで全くそういうお店には興味もなかったので行ったことなかったのだが、良い機会だからと参加させてもらった。
ちょうどボトルが切れたということで、名前まで書かせてもらってしまった。
結露すれば即座に拭かれ、飲み進めると放っておいても注ぎ足されるグラス。
新鮮な体験だった。

ただ、自分が良く分かっていなかったこともあって、内輪の話ばかりしていたのは多分良くなかったのだと思う。
もっとお姉さんたちも参加できる話題で、会話を楽しめるようにした方が良かった。
人見知りなところが出てしまって、ばっちりメイクのお姉さんに隣に座られて、色々と話を聞きたい気持ちはあってもそちらをなかなか向けなかった。
要するに、童貞感丸出しだったと思う。
ただ、そんなちょっとした居心地の悪さを抱えながら過ごして2万弱。
1人でも行くかと言われれば、多分行かない。
自分の場合、お店のお姉さんに疑似恋愛なんてありえないことだし。
もし次にまた連れて行かれることがあったら、お姉さんたちの来歴やら思想やらを聞いてみたい。
もっと異文化コミュニケーションに耐えられるくらい、精神的に余裕のある時に、是非。

2024年3月17日

あちこち出かける予定ばかりで、体調が回復しない。
昨日も知り合いのお宅にお邪魔して酒盛りをしてしまったせいで、何となく寝不足気味で若干二日酔い気味だった。
明日からも出張でホテル滞在が続く。
ちょっと危険かも知れない。

便利だからと言うのもあって、仕事のメールをスマホでも確認できるようにしている。
ただそのせいで、いけないと思いつつも休みの日にメールを返してしまう。
別に月曜になってからでも良いようなものでも、忘れそうだから…とかモヤモヤしたくないから…とか、あれこれ理由をつけて返してしまっている。
相手も同じように思っていたりすると、結局何周かメールをやりとりすることになってしまったりなんかしてしまう。
互いにモヤモヤをなすりつけ合っているような感じだ。
プロジェクトによってはチャットでやりとりしているようなものもあって、そちらだと手軽な分だけさらに問題は深刻だ。
多分、そもそも休日としては、メールの受信ボックスやチャットツールを開けること自体が間違っている。

まだインターネットすら普及していなかった頃からすると、現代のやり取りのスピードは驚異的なものだろう。
便利になったことは間違いない反面、我々の時間の余裕は確実に失われている。
相手に情報を送ったり質問を投げたりしても、それが返ってくるのに数日かかるような場合、必然的に待つ時間が発生する。
待っている間は、他のことを考える余裕に変わる。
その余裕を持つこと自体を、社会が寛容していたと思う。
今はそんなことは許されない。
仕事に限らず、自分にしろ他人にしろ、時間を浪費することの罪がどんどんと大きくなっているのを感じる。

今からでも、かつての余裕を取り戻そうとしたって、もはや手遅れだろう。
仮にメールのレスポンスを著しく遅くしたら、きっと誰かに迷惑をかけて僕自身の評価が下がっていくだけだ。
タイパに支配された生活を送ることは避けられないこととして、せめて意味のあることに振り回されたいと願っている。
無意味だと思っていることで時間が溶けていくのは苦痛でしかない。

2024年3月15日

昔から、すぐ内臓の調子を悪くする。
今日もそんな一日だった。

原因ははっきりしている。
出張だ夜勤だと睡眠不足や疲労が溜まっていたところへ持ってきて、昨日スリランカカレーを食べてしまった。
朝からずっと腸に不快感があって、それなのに朝イチから偉い人との打ち合わせがあったりして、しかも最近の仕事ぶりについてお叱りを受けてしまった。
どこか体が痛い時というのは、ろくなことが起こらないものである。

内臓に限らず、体調が悪い時というのは、どうしても悲観的になりやすい。
ジメジメとした気持ちになりながら、どこかで冷静な自分が、頭と体の不思議な関係を面白いと思っている。

当たり前だが、普段の健康な状態では、自分の脳で考えたように体を動かして、五感を通して伝わってきた情報を能動的に処理している。
つまり、頭が主で、体は従である。
ところが、一度体が調子を崩して、主人であるはずの頭の言うことを聞かなくなると、途端にその関係は反転する。
体の調子に合わせて脳は働きが鈍り、処理にネガティブフィルターがかかる。
実は普段体をコントロールしていると思っているのが間違いで、あたかもそう思わせられているに過ぎないのではないか。
最初から我々は、体によって思考を縛られているのではないか。
そんな気さえしてくる。

そう言えば、大学で教職課程の授業を取っていた中に「身体論」があった。
「身体」と「精神」の関係についての学問。
まさに上に書いたようなことを扱うものだったはずだ。
授業の内容も朧げで、身になっていないことが残念だ。
最近実は、哲学に興味が湧いていて、手始めに学んでみるのも良いかも知れない。

2024年3月14日

一昨日ちょっとした出張があり、付き合いもあって温泉宿に泊まってきた。
ホテル三日月ほどは大きくないけれど、まあまあ大きなリゾート温泉ホテル。
夕食も朝食も割と豪華なバイキングが用意されていて、それでも一泊1万円強。
平日とは言え、随分と安いんだなと驚いてしまった。

コスパの良さ以上に驚いたのが、客層だった。
ご高齢の世代ばかりかと思っていたら、むしろ若い人が多い。
大学生くらいのグループやカップルが沢山いて、食事の時にもとても楽しそうにはしゃいでいたのが新鮮だった。
確かに大学は春休みシーズンだろうし、平日に出かけるのは可能なのだろう。
が、それにしたってこんな大昔に流行った古臭い温泉リゾートに来なくても…と正直思ってしまった。
自分が大学生くらいの頃は、まとまった休みと言えば貧乏海外旅行が主流だったからだ。
社会人になったら長期の休みを取って、少し治安が悪そうな地域まで冒険することは難しくなる。
体力も時間もある今だからできることってことで、そういう旅行に行く人が自分の周りも含めて多かった気がする。

しかし、よくよく考えてみれば、今の若者たちが温泉リゾートで遊ぶのは至極当然のことだよなと思い直している。

一つは、恐ろしいほどの円安。
自分が学生だった頃は民主党政権で、むしろ円高だったから、海外旅行は決して手が出ないものではなかった。
今はヨーロッパに行こうとしたら飛行機代だけでも数十万。
サーチャージもどんどん上がっているようだし、現地の宿泊費も移動費も飲食費も全て高い。
必死に貯めたバイト代を全て使ってたった数日の貧乏海外旅行に出かけるより、コスパもタイパも良い国内温泉リゾートに出かけてゆったりした方が遥かに楽しい、と思ったって何ら不思議ではない。

もう一つ、コロナ禍で移動教室やら修学旅行やら合宿やらができなかった、というのも大きいだろう。
彼らはきっと、友達と同じ部屋に泊まってワイワイ騒ぐ体験に飢えている。
場所なんかどうだって良い。
気の合う仲間と一緒に旅行して、一緒にお風呂に浸かって、ボードゲームで遊んで、枕投げして、先に寝落ちた奴の顔に落書き描いたりしたいのだ。
自分含めて上の世代が、(良いか悪いかは別として)当然のように経験しているあれこれを、そもそも彼らは禁じられていた。
そういう旅行に良い思い出がない人だって沢山いるだろうが、最初から選択できないことは、理不尽極まりないことだと思う。
リゾート温泉ホテルではしゃいでいる若者たちは、中高年世代のそれとは全く違った切迫感で、青春を取り戻していると言えるかもしれない。

…と殊勝なことを考えつつも、実は混雑した食事会場や大浴場を見て、少し辟易してしまった。
コスパの高さに感心はしたものの、やはり自分は、古臭くて汚くて、でも温泉はちゃんとしている旅館に、一人で良いから泊まりたい。
彼らよりお金は持っているのだし、ちゃんと大人らしく場所を譲ってあげるべきだろう。
などと、とても偉そうなことを思ってしまった。